この夏一時帰国した際に、東京のサントリーホールでコンサートを聴いた。日本を代表するヴィオラの名匠、今井信子の80歳記念演奏会である。
それはとてもすてきな夕べだった。ベルリン在住の指揮者、山田和樹率いる若手オーケストラによるはじけるようなアンサンブルとの共演で今井は熟練のソロを聴かせた。さらに、朗読を担当する義理の娘とのコラボで、絵本『はなのすきなうし』(岩波書店)の物語を題材にした音楽を奏でるなど、今井の飾らない人柄と豊かな音楽性がホールに伝播するのを感じた。
なかでも圧巻だったのは、ドイツでも長く教鞭をとった今井が弾くパウル・ヒンデミット作曲「ヴィオラ・ソナタヘ長調」。自身ヴィオラの名手でもあったヒンデミット(1895-1963)は、この楽器による名作を多く残し、ヴィオラ弾きにとっては欠かせないレパートリーになっている。
耳を傾けながら、ベルリンのある風景が脳裏によぎった。初夏の夕方、シャルロッテンブルク地区のノイ・ヴェステンドに住む親しい知人を訪れてから、ブリックス広場のバス停へ行く道のりだ。ライヒ通りの菩提樹の並木道に沿ってゆるやかな坂を上ると、木々が生い茂るブリックス広場が見えてくる。谷底へと続く独特の地形をもつ広場でバスを待っていると、沼地からカエルの合唱が聞こえてくる。
緑豊かな初夏のブリックス広場。左手の集合住宅にかつてヒンデミットが住んでいた
1928年から38年までの10年間、ヒンデミットはこの広場の一角(現在のブリックス広場2番地)に住んでいた。当時、彼はこの家から教授職を務めていたベルリン音楽大学に通っていた。ナチスに「退廃芸術」の 烙印 を押されて、スイスを経て米国に亡命するまでは。
ヒンデミットが住んでいたことを示す記念プレート
ヒンデミットがブリックス広場でどのような生活を送っていたのかは知るよしもないが、以前フランクフルトの小さな博物館「ヒンデミット・カビネット」を訪れたときに、鉄道模型を趣味としていたことを知った。アパートの部屋一面にメルクリンの線路を敷き詰め、喜々とした表情で興じるほほ笑ましい写真にも出会った。模型鉄道の路線図や時刻表まで書いたというから、熱の入れようは相当なもの。自宅に招いていたという友人のピアニスト、アルトゥール・シュナーベルや詩人のゴットフリート・ベンを前に、熱弁をふるう作曲家の姿が目に浮かんだ。
売れっ子の指揮者にしてヴィオラのソリストだったヒンデミットは、欧州や米国の演奏旅行の移動に鉄道を好んで使った。常にポケットサイズのメモ帳を携帯し、車中の時間を作曲に充てていたという。
この夜のコンサートには、自らヴィオラを弾くことで知られる天皇陛下も一家で臨席されていた。さらに終演後には、かつて私がベルリンのアマチュアオーケストラで一緒に活動していた音楽仲間に22年ぶりに再会し、思い出話に花が咲いた。夏のブリックス広場とヒンデミットの姿を思い浮かべながら、日本とドイツ、東京とベルリンをつなぐ音楽の輪の広がりをかみしめた。
ブリックス広場
Brixplatz
シャルロッテンブルク地区にある広場。1909年、ノイ・ヴェステンドのエリアの整備に合わせて造られ、当初はザクセン広場と呼ばれた。ブランデンブルク地方の風景を模倣したという人口の岩、谷底の沼や池など、周囲の住宅街とは一線を画した景観が趣深い。U2のノイ・ヴェステンド駅から徒歩5分。
住所:Brixplatz, 14052 Berlin
ヒンデミット・カビネット
Hindemith Kabinett
フランクフルトのザクセンハウゼン地区にある博物館。クーヒルテントゥルム(牛飼の塔)と呼ばれる中世の塔に、ヒンデミットは1923年から27年まで家族と住んでいた。三つの階から成る展示に彼の足跡が展示されており、最上階は「世界最小のコンサートホール」として時々演奏会が開催される。入場料は3ユーロ。
オープン:日曜11:00~18:00
住所:Große Rittergasse 118, 60594 Frankfurt am Main
電話番号:069-5970362
URL:www.hindemith.info