今年はベルリンの壁崩壊から25周年を迎える。世界を揺るがした11月9日に向けて、大きな記念行事が予定されているが、いまひとつ盛り上がりに欠けるようだ。ひょっとしたら、ウクライナ危機を巡ってロシアと欧州連合(EU)の関係が冷戦終結以降もっとも悪化している現状が、どこかで影を落としているのかもしれない。世界のほかの地域を見渡しても、中東、アフリカ、東アジアと、どこも気が滅入るような状況が続いている。世界が再び憎しみと野蛮の支配する時代に逆戻りしてしまうのであれば、1989年のベルリンでの歓喜とは、いったい何だったのだろう・・・・・・。
数年前、壁が最初に開いた市内のボルンホルマー検問所跡から北のホーエン・ノイエンドルフまで、壁の跡に沿って自転車で走ったことがある。全長160キロに及んだ壁の跡は、現在サイクリングコースとして整備されている。最近、自転車好きの人と知り合った際、その話題になり、続きを一緒に走ることになった。
内部を見学できるニーダー・ノイエンドルフ国境監視塔
ある日曜日、Sバーンに自転車を持ち込み、友人2人と北側のホーエン・ノイエンドルフまで行く。今日はここからシュパンダウ地区のシュターケンまで走るのが目標だ。Berliner Mauerwegと書かれたプレートが目印の壁の道に入るとすぐに、焦げ茶色の独特のレンガ造りのアパートが並ぶ集落Invalidensiedlungに入る。第1次世界大戦の傷病兵のために1937年に建てられた団地なのだそうだ。そこを抜けると、見渡す限りの広大な草地が広がる。「市内からそう離れていないのに、こんな広々とした場所があるんですね」とベルリン在住約1年の友人が感慨深げに言う。うっそうとした松林を抜け、みずみずしい若葉に光が差し込む山道に入る。初夏の自然の中を駆け抜ける気持ち良さは例えようがない。やがて一般道に合流し、お昼過ぎにヘニングスドルフという比較的大きな町に入った。
ここからはハーフェル川沿いに走り、水の流れはやがて湖の規模に膨らんでいく。途中、かつての国境監視塔を見付けた。細い階段をつたって最上階まで行くと、当時国境警備兵が使っていた双眼鏡が置かれている。今走って来た遊歩道が25年前までは砂地の緩衝地帯だったことや、対岸のハイリゲンゼーが「敵国」であった事実に、今さらながら思いが至る。
ときどき東西分断時代の名残に出会う壁の道
近くのレストランで昼食後、再び広い森の中へ。ベルリンにしては地形に高低差があり、汗をかきながら坂を上ると、今度は一気に駆け下りる! 途中、アイスケラー(氷の貯蔵庫)という印象的な名前の集落を通った。当時西ベルリンの「飛び地」として知られた場所で、わずか3家族の住民は1本の細い道でのみ、かろうじて西のシュパンダウ地区との往来を保っていたという。
この日のゴールはシュパンダウ駅。6時間半掛けてほぼフルマラソンの距離を走ったが、「もう終わりか。名残惜しいなあ」と同行者が言うほど楽しい1日だった。
四半世紀を掛けて取り戻した壁沿いの豊かな国土と自然。だが、どんな理由であれ、再び戦争が始まればすべてが一瞬で失われる。
ベルリンの壁の道
Berliner Mauerweg
2002年から06年に掛けて、ベルリン市によって整備された全長160キロの遊歩道。要所に沿って、分断当時の出来事が記された案内板(独英表記)が置かれ、生きた歴史を学べる。10〜20キロごとにS バーンやレギオナルバーンの駅があり、大きく迂回もせずにたどり着けるので、行き帰りのご参考に。サイクリングの際に役立つ、スマホ用アプリが下記ウェブサイトからダウンロード可能。
電話番号: (030)7009060(Grün Berlin GmbH)
URL: www.berlin.de
ザンクト・オーバーホルツ
St. Oberholz
ハーフェル川の畔に建つ、かつての国境監視塔。ブランデンブルク州で現存する唯一のもの。1999年から歴史記念館として一般公開されており、東独の国境警備兵の日常、監視や狙撃命令の実情などがテーマ別に展示されている。壁崩壊25周年に合わせて、展示内容が一新されたばかり。壁の道の詳細な地図もここで入手できる。入場無料。
営業: 4月6日~10月3日の火〜日および祝日
10:00〜18:00
住所:An der Dorfstraße/Uferweg, 16761 Hennigsdorf
電話番号: (03302) 877320
URL: www.henningsdorf.de