ベルリンのクリスマスマーケットにトラックが突っ込み、12人が死亡、50人が重軽傷を負ったテロ事件の一報を、私はちょうど一時帰国中に、実家の寝床の中で知った。突っ込んだ先がカイザー・ヴィルヘルム記念教会前のブライトシャイト広場だと知って、身が硬直し、そのまま眠れなくなった。
それから数日間は日本のニュースでも報じられたし、現地の報道もインターネットで詳細に追うことができたはずだが、そういう気持ちにはなれなかった。ベルリンでついにテロ事件が起きてしまったことを受け入れたくない心理がどこかで働いたのかもしれない。
ベルリンに戻って数日後の1月半ば、事件が起きた現場に足を運んでみた。クリスマスの屋台は当然ながらもうそこにはなく、広々とした広場の片隅にフェンスに囲まれた一角があった。トラックが突っ込んだその現場には、今も無数のろうそくと花束が置かれ、凍てつく寒さの中を人々が次々に訪れる。「War um?(なぜ?)」と紙に書かれた文字。さまざまな国籍の人からのメッセージの中に、こんな言葉が目に留まった。「政治家は容疑者のことばかり話題にし、被害者のことを忘れている。誰が彼らの面倒を見るのだろう?」
ジェームズ・タレルがデザインしたドロテーエンシュタット墓地のチャペル
事件から1カ月後、ベルリンの地元メディアではテロの犠牲者の家族や現場に居合わせた人の深い傷に焦点を当てた報道が目立った。1月21日の「ベルリーナー・ツァイトゥング」紙では、屋台で飲み物を売っていたタニアさん(仮名)という34歳の女性の声が紹介されていた。彼女がちょうど店で両替をしていたその瞬間、アニス・アムリ容疑者に乗っ取られたトラックが突っ込んだ。周囲の人がパニックで逃げ惑う中、彼女は誰かを助けなければと思った。近くには血まみれになって地面にひざまずき、嘔吐している人がいた。そして、残骸に覆われた男性の遺体を見た。タニアさんはトラックのトレーラーの下に横たわっていた女性を救い出す。声を掛けてその女性を励まし、やがて駆けつけた救護員のヘルプをした。女性は頭部を損傷していたが、まだ話しかけることのできる状態だったという。しかしその後、新聞の記事で、その女性が病院で亡くなったこと、そして自分が見た遺体の男性がその女性の夫だったことを知る。「あのとき何が起きたかはもう分かっているし、いろいろな記事も読みました。でも、本当のところではまだ理解できていないのです」
事件の3日後、マーケットは再開し、タニアさんも店頭に立った。しかし、訪れた人から「トラックがどこに突っ込んだのか」と幾度となく聞かれたことに彼女は閉口した。そして、「記念教会2016」と書かれたホットワインのマグカップが、「お土産に」持ち帰る人で飛ぶようになくなったことにも……。
タニアさんは、「今もトラックが突っ込んでくる夢を見る」と後遺症に悩まされている。事件の夜にベルリンにいなかった私でさえ、動物園駅の前から記念教会が見えると、クリスマスマーケットの眩い光とともに現場にいた人の体験が重なって、苦しい気持ちになる。
記念教会のマルティン・ゲルマー牧師はこう語る。「教会の弔問者の記帳にはすでに1万人もの署名が書き込まれました。これは人々の強い同情心の証です」
見える風景が変わってしまった。だがそれでも、教会の荘厳な鐘の音は、ベルリンの人々の気持ちを乗せて、今日も変わらずに鳴り続けている。
カイザー・ヴィルヘルム記念教会
Kaiser-Wilhelm-Gedächtnis-Kirche
ドイツ帝国の初代皇帝ヴィルヘルム1世を讃える目的で1895年に造られた教会。第2次世界大戦中の1943年に空爆で大きく破壊されたが、戦後、廃墟の主塔部は戦争の記憶を後世に伝える警告碑として残された。現在そこは教会の歴史を伝える記念館として一般公開されている。礼拝やコンサートは、隣接した八角形の礼拝堂で行われる。
オープン:月〜日9:00〜19:00、
(記念館)月〜金10:00〜18:00、
土10:00〜17:30、日12:00〜17:30
住所:Breitscheidplatz, 10789 Berlin
URL:www.gedaechtniskirche-berlin.de
ベルリン緊急相談サービス
Berliner Kriesendienst
市の支援を受けたベルリン緊急相談サービスでは、心の病や家庭問題など、様々な悩みへの相談を無料、匿名で受け付けている。今回のテロ事件後、タニアさんのように後遺症などに悩む約130人からの相談を受けたという。地区ごとに24時間対応のホットラインと相談所があり、HPは英語など多言語に対応している。