5月8日の終戦記念日直前の週末、「DENK MAL AM ORT」(略してDMAO)が開催されました。これはナチス時代、ユダヤ人が強制輸送された集合住宅を一般公開して毎年行われるイベントで、Denkmal(記念碑)とdenken(考える)を掛け合わせて、「その場所で考えよう」という意味が込められています。
日曜のお昼、シャルロッテンブルク地区のゲルヴィヌス通り20Aの集合住宅にお邪魔しました。玄関に紹介されていたこの建物の歴史によると、1938年10月~43年にかけて、ここに住んでいたユダヤ系住民74人が強制輸送され、うち50人以上が殺害されたそうです。強制収容所で生き延びたのはわずか2人。外国への亡命や地下生活、キリスト教徒の配偶者がいたことで助かった人もいました。
アパートのドア横にはかつて住んでいた家族の呼び鈴も並び、それを押すと、その家の生存者や子孫による音声が再生されます。例えば、ヤコビー家の呼び鈴を押すと、1939年1月にユダヤ人の子どもの救出作戦「キンダートランスポート」で英国に逃れたルース・パーカーさんが当時自分たちの身に起きたことを語り、祖父母との永遠の別れとなった悲しみを詩で読み上げます。まさにその場所に立って出会う歴史は、身に迫るようなリアリティーがありました。
アパートのドア横に並べられたかつての住民の呼び鈴。中央がヤコビー家
中庭に行くと、訪れた人に熱心に説明する住民たちの姿があり、その一人、マティアス・シルマーさんが応じてくれました。「そもそもの始まりは2017年、アパートの階段に1枚の張り紙を見つけたときです。DMAOの創設者、ヤニ・ピーチュさんが書いたもので、こんな内容でした。『アムステルダムにジャック・ワイルという人がいる。彼女の母親はかつてここに住んでいて、家族の中で唯一強制収容所から生還した。ワイルさんはいつかこの家で母親を偲びたいと考えている。どなたか支援してくれないだろうか』と」。
シルマーさんはピーチュさんに連絡を取り、リサーチを開始します。翌年のDMAOではワイルさんを含むかつて住人だった4人の親族がここを訪れ、家族の歴史について話をしてもらう場がつくられました。「私はその後、英国在住のパーカーさんに会いに行き、さらにポーランド、アメリカ、ブラジル、ニュージーランドにまで彼らの足跡や友人を見つけました。今も新しい情報が入ってきていますよ」
「DENK MAL AM ORT」が行われたゲルヴィヌス通りの集合住宅の中庭
この日も、訪問者と語らうワイルさんの姿がありました。元住民の親族の思いを真摯 に受け止め、ここまで調べ上げたシルマーさんら現在の住民の努力に感銘を受けた私は、ふと思いました。「自分が住んでいるアパートには、かつてどんな人が住んでいたのだろう。ここから強制輸送された人はいたのだろうか」と。