現在、ツォー駅裏手のベルリン写真美術館Museum für Photografie にて、「戦後日本の変容」展が開催されています(6月17日まで)。1945~64年という激動の時代を背景に、木村伊兵衛や土門拳、細江英公ら、戦後日本の写真界を代表する11名の写真家によるモノクロ写真123点で構成された興味深い展覧会です。
この展覧会の関連プログラムとして、日本の写真関係者による講演会が何回か開催され、私は4月末に行われた写真家・橋口譲二さんの講演会「カメラがとらえた、日本が幸福だった時代と17歳の今」を聴きに行きました。橋口さんは、80年代からベルリンとの縁が深く、昨年は旧東ベルリンのホーフ(中庭)をテーマにした写真集『Hof ベルリンの記憶』を発表しています。
展覧会のテーマに合わせて、講演会の前半は1949年生まれの橋口さんが自分の子ども時代を振り返るところから始まりました。鹿児島での小学校時代、生徒の半数は裸足で学校に通っていたこと、中学卒業後は大都市に集団就職するのが当たり前だった風潮などに触れ、「日本と言うとお金持ちの国というイメージがあるかもしれませんが、それはここ30年ぐらいのことです。当時の人々は自転車やテレビ、洗濯機など、皆小さな夢を持って生きていました。それがいつの間にか、『欲望』に変わっていったのです」と聴衆に語ります。
写真集『17歳―2001‐2006』(岩波書店)より
© Hashiguchi Joji & JDZB
そして、日本全国多くの人のポートレートを撮影してきた橋口さんが、東北に住む2人の女性の写真を見せながら、庶民のささやかな生活を紹介します。「日本と言うとお米の国という印象をお持ちかもしれませんが、それもここ40年ぐらいのことです。米はもともと南の穀物。努力と改良を重ねて、東北や北海道でもお米が作れるようになったんです」と聞いて、私ははっとしました。橋口さんは静かに、しかし揺るぎない姿勢で戦後日本の文明について問うているように感じたのです。
後半は、橋口さんが2000年代に撮った17歳の若者のポートレートを見せながら、彼らの声を朗読。子どもと大人の狭間で悩みながらも生きる、ごく普通の若者の姿が立ち上がります。最後にこんなことを話しました。「今の朗読を聞いて、皆さんの中には良くも悪くもいろいろな感情がわき起こったはずです。僕はその感情こそがアートだと考えています。お金がたくさんあれば、この美術館に飾られているヘルムート・ニュートンさんの写真を買うことができるでしょう。でも、皆さんのその感情は誰も買うことができません」。
質疑応答では、橋口さんの写真家としての制作姿勢が、こんな言葉で明かされました。「今までに900人ぐらいのポートレートを撮ってきましたが、自分が撮った人はすべて作品に登場させています。人の存在は、比較できないからです。この世に生きる価値のない人はいません。人を選んでこなかったということを僕は誇りにしています」
「人の存在は比較できない」。口で言うのは簡単ですが、制作を通してその信念を実践し続けてきた橋口さんに、私は敬意の念を感じました。最後は拍手がなかなか鳴り止まず、会場が温かい雰囲気で満たされていました。