ノイシュタット地区の日本宮殿前に広がるパレプラッツ(Palaisplatz)。18世紀前半に造成され、ドイツ帝国時代にはカイザー・ヴィルヘルム広場と改称されましたが、経済学者カール・マルクスが1874年に隣接していたホテルに滞在したことにちなみ、1945~91年まではカール・マルクス広場と呼ばれていました。その広場から東に延びるハインリッヒ通りはかつて牧師通り(Pfarrgasse)と称され、近くには三王教会の牧師の家や学校が並んでいました。現在の名称は16世紀半ばに国の宗教をルター派に移行させたザクセン公ハインリッヒ4世(敬虔公)に由来しています。
今日、その通りにはトラムのレールの一部と、かつてはホテルだった巨大な建物の廃墟が残されています。第2次世界大戦時の爆撃で破壊される前の様子が描かれた1915年の絵葉書を見ると、トラムが実際に走っていたことが分かります。レールの残りからは、このトラムがハインリッヒ通りを通過していたことがうかがえます。
噴水の後ろに、当時走っていたトラムの様子が分かります
現在、この界隈はブティックやギャラリーが点在する発展途中の静かなエリアですが、戦前はもっと活気のある、町の要所だったのではないかと思われます。レールを眺めていると、かつての喧騒が聞こえてくるような錯覚を覚えます。残されたレールの前に立つ廃墟の壁には、ホテル名「Stadt Leipzig」という古ぼけた大きな文字と、壊れかけた木製のシャッターが。
私がこの界隈に引っ越してきたのは2005年ですが、当時、ホテルは外周に足場が組まれたまま放置されていました。やがて、2年ほど前に集合住宅の完成予想図が設置されて改修工事が本格的に始まりましたが、最近になってその看板は取り外され、工事も中断されてしまいました。
この建物は、ドレスデンに現存するホテル建築としては最古のもので、文化財指定を受けています。最初の建物は1685年の大火でその多くを焼失しましたが、その後、オリジナルと同じルネサンス様式で再建されました。1839年の土地台帳では、Stadt Leipzigというホテルの名称が確認できます。
ハインリッヒ通りに残るレールの跡とかつてのホテルの廃墟
今は無残な姿とはいえ、三角形の破風を持つ窓の連続、幾何学的な窓のリズムと左右対称性は典型的なルネサンス様式で、優美さと安定した風格を漂わせています。それだけに、この建物が再び命を吹き返す日を願うばかりです。
繰り返されてきた町の拡張工事、さらに爆撃による破壊を経て、町の姿は年月とともに幾度となく変更されてきました。しかし、過去の記憶は確実に残されており、それをたどることは楽しいものです。
横浜出身。2005年からドレスデン在住。ドイツ人建築家の夫と娘と4人暮らしの建築ジャーナリスト。好奇心が向くままブログ「monster studio」公開中。
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