Hanacell

原爆とその影響 聖ニコライ教会での特別展

本誌1127号では、広島・長崎原爆投下から75年を記念した特集が組まれていましたね。日本では広島と長崎において毎年記念式典が行われますが、ここハンブルクでは、聖ニコライ教会で7月28日~8月23日の間、「残像―移り行く広島への観点」と題した特別展が開かれていました。

聖ニコライ教会自体も第二次世界大戦中、1943年の空襲で破壊されてしまいました。戦争を二度と繰り返さないため、その惨状を今に伝えるべく、再建されずに破壊された状態のまま残されています。そしてその地下の空襲記念博物館には、空襲後のハンブルクの街の様子が写真で展示されているのです。

塔だけを残し破壊されたままの聖ニコライ教会塔だけを残し破壊されたままの聖ニコライ教会

特別展の会場は空襲記念博物館の一角で、もとはワインセラーとして使われていたそう。薄暗く湿ったカビっぽい空気が展示の内容と相まって、なんだか心が重くなりました。今回の展示は、原爆そのものというよりも、それを体験した人々や周囲の国々がどのように感じたか、またその感覚が時とともにどのように変化してきているかに主眼が置かれています。

1945年8月7日、英国の新聞には「世界を変えた爆弾」という見出しが早くも登場。世界各国でも、原爆が投下された直後からその報道がされていました。中には「原爆による広島のホロコースト」というタイトルの記事も。原爆投下後すぐは、一瞬の破壊力への残虐性がフォーカスされていたようです。1カ月後に各国のレポーターが日本に集まった時には、放射能による後遺症の恐ろしさが報道されるようになっていました。さらに5年後には、東西冷戦による世界の緊張感が高まったこともあり、ソビエト連邦が所持する原爆について「原爆がニューヨークに落とされるかもしれない」という記事が米国の雑誌に掲載。これらの記事からは、原爆の惨状が対岸の火事ではなくなるという恐れが感じられ、「剣を取るものは剣によって滅びる」ということを感じました。

広島特別展の会場広島特別展の会場

ほかにも被爆者の手記やスケッチも多数展示されており、原爆の悲惨さを伝えています。また、ケロイドに覆われた若い女性たちが米国に招待され、無償で皮膚移植手術を受けたという記事がありました。しかし彼女たちはそのことを恥じて、ひっそりと帰国したといいます。その理由は、日本国内に被爆者に対する差別があったからです。

教会敷地内に設置された「試練」というタイトルのブロンズ像教会敷地内に設置された「試練」というタイトルのブロンズ像

この特別展は、ハンブルクの政治教育部門とミュンヘンのルートヴィヒ・マクシミリアン大学が提携してイニシアチブをとっています。外国の機関が終戦から75年経過した今も原爆とその影響について特別展を開催していることに、感動を覚えました。

井野 葉由美(いの はゆみ)
ハンブルグ日本語福音キリスト教会牧師。イエス・キリスト命。ほかに好きなものはオペラ、ダンス、少女漫画。ギャップが激しいかしら?
www.nd-jcf.de
www.facebook.com/ndjcf

 
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