子どもの頃、NHKで放送されていた「たんけんぼくのまち」(1984-1991)という番組が好きでした。店員として働いているチョーさんが自転車「チョーさん号」に乗って、自分たちが暮らす市町村について調べ、手書きのイラスト地図にまとめます。僕自身、チョーさんの楽しげな地図作りを真似て、普段は通らない路地を歩いてみたり、商店街をウロウロしたりしながら、イラスト地図を作ったことも。そこには、新たな出会いや再発見がありました。今回、ブラウンシュヴァイクにあるユニークな地図を作る工場の見学会に家族で参加してきたので、その様子を紹介したいと思います。
子どもたちに説明するスヴェン・ボルマンさん
ボルマン絵地図出版社は、手書きで味わいのある立体都市地図を作っている出版社。斜め上から建物と樹木を描き、窓や木の本数を正確に記録するこだわりには理由があります。創業者でグラフィックデザイナーのヘルマン・ボルマンさん(1911-1971)は、戦時中は軍隊で地図を作っていました。ソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留され、ようやくブラウンシュヴァイクに帰還した彼は、連合軍の空襲で市街地の90%が破壊された故郷を目の当たりにし、大きなショックを受けました。そして、その被害の大きさを記録し、今までにない都市地図を作ることを決意します。
創業者のヘルマン・ボルマンさん
その作業は地道なものでした。がれきの中を歩きながら、残っている建築物と植物を記録する日々。それは戦争で失われた暮らしと命を想像する作業でもあったかもしれません。約8カ月かけて、最初の地図「がれきの地図1」が完成しました。その後も5年ごとに地図は更新され、復興の様子が記録され続けました。新たに増えていく街路樹や窓の数は、ボルマンさんにとって希望の芽だったのだろうと想像します。
今の社長は、創業者の孫であるスヴェン・ボルマンさん。見学会では、スヴェンさんが子どもたちに冗談を交えながら、楽しく会社を案内してくれました。地図の製作技術は1948年以来ほとんど変わっておらず、独自に開発したカメラを取り付けた車で走行しながら、街の写真を撮影します。これらの写真が製図技師によって細部まで手書きで転写され、アート作品のような地図が作られるのです。1958年からはセスナ機で何千枚という航空写真を撮り、ドイツ国内外の80の都市の地図を作っています。子どもたちは、実際に製図する作業を体験して楽しんでいました。
「がれきの地図1」
今のブラウンシュバイクを歩いてみて、77年前にヘルマン・ボルマンさんが感じた喪失感を想像することは簡単ではないかもしれません。だからこそ、彼が始めた「がれきの地図」の精神を受け継いでいく家族の情熱に感銘を受けました。そして、これ以上戦争で人々や植物の命が奪われないことを願い、そのように行動していかなければならないと感じました。
Bollmann-Bildkarten-Verlag:www.bollmann-bildkarten.de
神戸のコミュニティメディアで働いた後、2012年ドイツへ移住。現在ブラウンシュバイクで、ドキュメンタリーを中心に映像制作。作品に「ヒバクシャとボクの旅」「なぜ僕がドイツ語を学ぶのか」など。三児の父。
takashikunimoto.net