ハノーファーから北へ約50キロの場所に、ベルゲン・ベルゼン強制収容所記念館(Gedenkstätte Bergen-Belsen)があります。ここはナチス時代の強制収容所で、「アンネの日記」で知られるアンネ・フランクが収容され、亡くなったところです。ドイツの強制収容所の記念館の第1号として1952年11月30日にオープンし、昨年秋に60周年を迎えました。
ベルゲン・ベルゼン収容所で亡くなったアンネ・フランクが綴っていた「アンネの日記」
(アムステルダムの「アンネ・フランクの家」所蔵)
開館60周年を記念して、3月末までこの記念館で特別展「60 Jahre – 60 Tage(60年―60日)」が開かれています。同展に合わせて新たに1945年以降の60点の資料が公開され、収容所の歴史を振り返っています。昨年11月30日の記念式典には、ニーダーザクセン州のマカリスター首相も出席し、いかにこの地がドイツの歴史上で重要な地位を占めるかを印象付けていました。記念館の訪問者数は、一般市民や学校の社会見学で訪れる生徒など、年間約30万人に上ります。
ベルゲン・ベルゼン収容所はリューネブルガー・ハイデ(Lüneberger Heide)という、ヒースなどの低木が生い茂る自然豊かな地域にあります。ここで第2次世界大戦中、ユダヤ人やシンティ・ロマ、政治犯ら約5万2000人と、戦争捕虜約2万人が亡くなったと言われています。食料不足や劣悪な住環境、病気などにより、多くの人が衰弱死しました。当時の建物は、疫病の蔓延を恐れて終戦期に連合軍が焼き払ったため、現在はほとんど残っていません。建物の跡を辿って1500平方メートルの敷地を歩いていると、あまりに長閑で、過去にそのような残忍な行為が行われた場所とはなかなか想像できません。広大な自然の中は穏やかな静けさに満ちていて、「悲劇」という言葉とはかけ離れているのです。
アンネ・フランクと姉のマーゴット・フランクが収容所のどこで亡くなったかは、定かではありませんが、敷地内には彼女らの記念碑が建てられています。アンネを偲んで訪れる人も多く、追悼の花が絶えません。
敷地内に建てられた記念碑
ナチス政権は約600万人のユダヤ人をはじめ、シンティ・ロマや同性愛者、共産主義者、逃亡兵などをドイツ社会の敵とみなし、迫害しました。ドイツはこれら自国の加害の歴史の究明に熱心に取り組んでおり、人類最大の悲劇を忘れないよう、強制収容所跡を整備することもその取り組みの一環です。小さなものを含めると、全国には何百もの犠牲者の追悼記念碑があります。現代のドイツ人は「私たちに罪はないけれど、責任はある」という姿勢で、過去と向き合っています。
Gedenkstätte Bergen-Belsen
Anne-Frank-Platz, 29303 Lohheide
入場無料
※最寄のツェレ市から直行バスが出ています。
http://bergen-belsen.stiftung-ng.de
日本で新聞記者を経て1996年よりハノーファー在住。社会学修士。ジャーナリスト、ドイツ語通訳。著書に『市民がつくった電力会社: ドイツ・シェーナウの草の根エネルギー革命』(大月書店)、共著に「お手本の国」のウソ(新潮新書) など。