ライプツィヒはバッハ、モーツァルト、メンデルスゾーンなど名だたる音楽家が活躍した都市として有名です。彼らの功績をたたえて、市内にはそれぞれの偉人にちなんだ博物館やそれらをつなぐプロジェクト「ライプツィヒ音楽軌道」(Leipziger Notenspur)(本誌948号で紹介)があります。
その中でも特に重要とされているのが、バッハ資料財団の活動です。この財団は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685–1750)没後200年の1950年に、音楽研究家ウェルナー・ノイマンにより設立されました。バッハの生涯と業績を紹介するバッハ博物館、バッハにちなんだ研究文書を保管しているライブラリー、バッハ音楽祭、バッハ国際コンクールを運営しています。
バッハ博物館 (Bach-Museum)
特に毎年、キリスト昇天祭(復活祭から40日後、5月または6月)に開催されるバッハ音楽祭は、トーマス教会、バッハ博物館をはじめ、マルクト広場の特設ステージなどの市内各所、および近郊都市で開催されるライプツィヒで最も規模の大きな文化行事です。彼にゆかりのある土地で行われるこの祭典は、ドイツ各地の音楽祭の中でも特別に権威あるものとされ、世界中から音楽ファンが集まります。2012年に設立800年を迎えたトマース教会少年合唱団や、ゲヴァントハウス管弦楽団による公演をはじめ、世界中から集まる著名な音楽家によるコンサート、さらには学者たちによる討論会や近郊の町へのパイプオルガン見学ツアーに至るまで、100以上のイベントが開催されます。
バッハは、トーマス・カントル(トーマス教会の音楽監督)として1723年から1750年までトーマス教会少年合唱団を率いました。青少年たちと同じ宿舎で寝泊まりしながら、毎週日曜の礼拝で歌う教会カンタータや受難曲の大作を書き上げたのです。トーマス教会の脇にはバッハの銅像が立ち、この偉大な音楽家の栄光をたたえています。
ちなみに、世界的に有名なトーマス教会少年合唱団は、1212年にトーマス教会の付属学校ができたところから始まりました。ライプツィヒ市で最も古い文化団体とされています。9歳から18歳までの93名の青少年が寄宿舎で共同生活をしながらトーマス学校で学び、厳しい歌のレッスンを受けています。秩序ある活動の中で、青少年たちは濃密な10年間を過ごし、卒業後はほぼ全員がそのまま音楽の分野に進みます。彼らの生活はバッハのいた頃と変わらず伝統的で音楽にあふれ、これからも受け継がれていくことでしょう。
トーマス教会少年合唱団
ドイツ建築家協会認定建築家。福岡県出身。東京理科大学建築学科修士課程修了後、2003年に渡欧。欧州各地の設計事務所に所属し、10年から「ミンクス・アーキテクツ」主宰。11年より日独文化交流拠点ライプツィヒ「日本の家」の共同代表。
www.djh-leipzig.de