ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地のホール「ベルリン・フィルハーモニー」がこの10月、1963年のオープンから丸半世紀を迎え、3つのプログラムによる記念公演が行われました。
私が聴いたのは、バッハ作曲の『マタイ受難曲』。これは新約聖書の『マタイ伝』を基にしたオラトリオで、上演時間が3時間を超える大作。その内容の深さから「西洋音楽史上の最高傑作」と評されることも珍しくありません。私はこれまでに何度かこの作品の実演を鑑賞したことがありますが、今回、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィル、ピーター・セラーズの演出によって上演されたのは、これまでとは全く異なる『マタイ』でした。
冒頭の音楽が鳴り響くと、棺桶を模したオブジェの周りに合唱団のメンバーが群れを成し、キリスト受難の情景を歌い上げます。2つの合唱がステレオ効果を出し、さらに舞台横の客席の上からは少年合唱によるコラール「おお、神の子羊」が鳴り響いて、壮大なハーモニーが生まれました。舞台を客席が取り囲み、両者の間に垣根がないフィルハーモニーの空間を存分に生かした演出に、私はいきなり圧倒されました。
ピーター・セラーズによる演出では、イエスや弟子たち、群衆の行動や心の揺れが具象化され、聴き手の前に提示されます。例えば、イエスが捕らえられた後、弟子たちが逃げ出す場面では、合唱団のメンバー全員がホール中に散らばり、あらゆる場所からコラールが鳴り響きます。そして、イエスとの関係を3度否定したペテロが自らの行為を嘆く有名な場面では、アルト・ソロがアリアを歌う最中、下を向いて泣くペテロ役の歌手の肩に、福音史家が手を置いて慰めるのです。
私は衝撃を受けました。舞台の上で喜び、嘆き、嘲笑し、後悔し、泣き叫び、懺悔する人々の姿は、2000年前に起きた一宗教の事象という枠組みを超え、現代に生きる我々と何ら変わりないように思えたからです。こんなに生々しく「人間的な」宗教音楽の上演に接するのは初めてのことでした。
フィルハーモニー50周年を記念して上演された『マタイ受難曲』
ラトルによるテンポの良い指揮ぶりも素晴らしかったのですが、ドラマを牽引する福音史家(マーク・パドモア)の歌唱と、アリアを彩る弦と木管楽器のソロはまさに圧巻。ユダが自殺した直後に歌われるバス・アリアをリードする力強いヴァイオリン・ソロ。そして、「愛よりしてわが救い主は死のうとしている」と歌うソプラノ・ソロを取り囲んで奏でられるフルートの親密な響き。奏者は歌手の目の前で演奏し、まるで直に励まし、慰めているかのようです。最後、イエスの棺桶の前で「わが心よ、おのれを潔めよ」と歌うバスのアリアで、私の感動は頂点に達しました。
10月20日のガラ・コンサートに臨席したメルケル首相は、「シャロウン設計のフィルハーモニーは外観も音楽体験の上でも、並外れて成功した建築作品」と評しました。これからも音楽で人々の心にあかりを灯す場所であり続けてほしいと願います。