8月22日、焼きつけるような北アフリカの暑熱の中、トヨタのランドクルーザーに乗り、カラシニコフAK47型自動小銃を持った民兵たちがリビアの首都トリポリに突入した。彼らはカダフィ大佐に忠誠を誓う政府軍の兵士たちと銃火を交えながら、首都の大半を掌握。32年にわたって続いたカダフィ氏の独裁体制に、終止符が打たれようとしている。
チュニジア、エジプトと違って、リビアで起きた反政府革命は血なまぐさい内戦に発展した。カダフィ大佐は、反政府勢力がたてこもる都市を容赦なく空爆させた。このため女性や子どもを含む多くの市民が犠牲になった。北大西洋条約機構(NATO)は、「市民が政府軍によって虐殺されるのを防ぐ」という名目で採択された国連安全保障理事会の決議に基づき、反体制勢力を支援するため3月19日、リビアに対する空爆を開始した。
東日本大震災と福島の原発事故が起きた直後だったので、日本ではほとんど注目されなかったが、米国、フランス、英国は5カ月前から北アフリカで戦争に加わっていたのである。トリポリが陥落したことで、欧米諸国の危うい軍事介入も終わることになった。
ドイツはこの内戦でどのように振舞ったのか。3月17日の深夜、国連安保理がリビア上空に飛行禁止区域を設けることを決議し、NATOの軍事介入にお墨付きを与えた時、ドイツは棄権した。ヴェスターヴェレ外相が部下たちのアドバイスを無視し、棄権することによって軍事攻撃に反対の意を表したことは、米英仏に強い衝撃を与えた。彼らは「なぜドイツは、ほかのNATO加盟国と足並みを揃えないのか」と首をひねったのである。これ以降、ヴェスターヴェレ氏は、特に米国の政府高官から、ほとんど相手にされなくなった。彼は緑の党の一部の政治家と同じく、外交的手段ではなく軍事力によって事態を打開しようとする米英仏の態度に疑問を抱いたのである。
しかし、もしもNATOが反政府勢力を支援していなかったら、民兵たちはカダフィ大佐の正規軍に殲(せん)滅されていたかもしれない。その意味で、カダフィ失脚は米英仏の軍事援助があったからこそ可能になったのである。この内戦は、ヴェスターヴェレ氏にとって欧米諸国との関係が悪化するという「付随的被害」(コラテラル・ダメージ)を招いた。
もっとも、戦争をためらう側にも言い分はある。シリアでは独裁者アサドが反政府勢力の立てこもる町を戦車で攻撃。市民ら2000人を殺害し、1万5000人を逮捕した。なぜNATOは、リビアには攻撃したのに、シリアに対しては空爆も行わず、弾圧されている人々を支援しようとしないのか。リビアが先進工業諸国にとって重要な産油国であるのに対し、シリアは産油量がジリ貧になっていることと関係しているのか。こうしている間にも、シリアの刑務所では反体制派に属する市民が拷問されたり殺害されたりしているはずだ。さらに、将来サウジアラビアやイランでも同じような反政府運動が起き、軍が市民に対する弾圧を始めた時、NATOは軍事介入して政府を転覆させようとするのだろうか。
米英仏の判断基準は、ただ1つ。それは国益である。今後もアラブの反乱が続く中、欧米の都合によって、リビア国民のようにNATOの軍事支援で救われる者と、シリア市民のように見殺しにされる者が現れるだろう。残念だが、それが国際政治の冷酷な現実であり、世界の歴史は常にこのようにして書かれてきた。
2 September 2011 Nr. 883