ジャパンダイジェスト

EU条約とメルケル首相

「中途半端な妥協はしなかった」。ブリュッセルに集まった記者団の前で語るメルケル首相の表情は、厳しかった。12月上旬に開かれたEU首脳会議で、メルケル首相とサルコジ仏大統領はユーロ救済のためEU基本条約を改正することに失敗したのである。

その理由は、英国のキャメロン首相の反対だ。このため独仏は、英国を除く26カ国が財政規律を高めるために別の条約を結ぶという、「苦肉の策」を使わざるを得なかった。

具体的には、26カ国はドイツがすでに導入している「債務ブレーキ」を国内法に導入する。ドイツ政府は国内総生産の0.35%を超える財政赤字を抱えることを、憲法で禁止されている。ほかのEU諸国の場合は、0.5%が財政赤字の限界になる。

さらに、ユーロ圏に属する国が財政赤字や公共債務に関する規則に違反した場合、原則として自動的に制裁措置を科される。これまでは、制裁を科すかどうかについて財務相の理事会が事前に協議して決定する形を取っていたため、実効性のある制裁措置が行なわれなかった。

しかしメルケル首相は、この合意結果に本心では満足していないだろう。26カ国が結ぶ条約は、EU基本条約と並行して適用される。このため、規則に違反した過重債務国は、将来もEU基本条約の中の条項を盾にとって、制裁の適用を免れようとすることが可能だからだ。

EU基本条約本体の改正に比べると、追加的な条約の締結は拘束力が弱い。

ユーロ圏に加盟していない英国の反対によって、ユーロ圏の財政規律を高めるための努力が妨害された。メルケル・サルコジ両首脳のキャメロン氏に対する怒りは、深いに違いない。(これまでもサルコジ氏は、「ユーロ圏に入っていない国は横槍を入れないで欲しい」と英国を批判したことがある)

英国は、世界で2番目に大きい金融市場シティーを持つ。キャメロン氏は欧州委員会の権力がさらに拡大して、金融業界への規制を強めたり、金融取引に新たな課税が行なわれたりすることに危惧を抱いたのである。彼はEUの中で孤立してでも、国益を守る道を選んだ。だが今回の条約拒否によって、英国のEUにおける影響力や発言権が将来低下することは間違いない。

ユーロ危機の原因の1つは、各国が通貨を統合したのに、ばらばらの財政・経済政策を取っていたことにある。ドイツやオーストリアなど欧州北部の国々が、財政赤字を抑える努力をしていたのに対し、ギリシャやポルトガルは、競争力の低さを国債による借金で補っていた。このため南欧では「公的債務バブル」が膨らみ、一時的に景気が良くなった。だが投資家が国債を買わなくなると、バブルが崩壊したのである。

その意味でブリュッセルの合意は、「財政同盟」創設への第一歩であり、方向性は正しい。だが、この再出発はあまりにも遅すぎる。

ドイツ連邦銀行は、今から約20年前にEU加盟国がマーストリヒト条約に調印し、通貨同盟の創設を決めた時に、「政治的統合を強化しなければ、通貨同盟は失敗する」と警告を発していた。20年前にやっておくべきだった「宿題」に、ユーロ圏加盟国は今ようやく手をつけ始めたのである。欧州諸国の国債を投資家が敬遠するという未曾有の事態に直面するまで、症状の悪化を放置していた欧州委員会と、各国政府の責任は重い。来年、ユーロという患者の容態は、本格的に回復するだろうか。まだ楽観は禁物である。

23. Dezember 2011 Nr. 899

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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