5月中旬から3週間、日本に出張してエネルギー問題などについて講演を行った。東日本大震災と福島の原発事故から1年以上が過ぎ、社会の反応は沈静化してきたように感じられた。1年前の5月に私が日本を訪れた時には、福島県だけでなく東京などの放射線量が新聞やテレビで毎日報じられていたが、現在では行われていない。昨年、首都圏では節電のために一部のエスカレーターやエレベーター、自動ドアが止められたり、東京電力の発電量と電力消費を比較したグラフが電車や駅で表示されたりしていたが、これも見られなくなった。
現在、日本では54基の原子炉が定期点検のためにすべて止まっている。しかし、原発再稼働へ向けた 動きは着々と進んでいる。現在のところ原発停止によって日常生活や企業活動には何の影響も出ていな いが、日本政府は「今年の夏には関西地方で電力不足が生じる恐れがある」と見ており、野田首相は6月 初めに「地元の了解が得られれば、関西電力の大飯原発の再稼働に踏み切る」という方針を明らかにしている。大飯原発の安全性については、関西電力が行ったストレステスト(耐性検査)の結果について、経済産業省の原子力安全・保安院と内閣府の原子力安全委員会が「妥当」という判断を示している。
私は日本でこうした議論を見ていて、福島の原発事故の教訓が十分に生かされていないと感じた。事故から1年も経っているのに、経産省から独立して環境省の外局として設立されるはずの原子力規制庁ができていない。原子力の安全を批判的に監視する官庁が、原子力を推進する経産省の中に置かれていたら、有効な規制はできない。ドイツ政府は1986年のチェルノブイリ原発事故以降、原子力規制を経済省から独立した環境省に担当させている。
原子力安全・保安院と原子力安全委員会は、原発の安全基準の中で巨大な津波を考慮に入れていなかった。その意味で、福島原発事故に間接的に責任がある官庁である。したがって福島原発事故後のストレステストについては、「旧体制」の原子力安全・保安院と原子力安全委員会ではなく、新しい原子力規制庁が担当するのが筋である。
また、私が日本に滞在中だった5月28日に、経産省の総合資源エネルギー調査会が、2030年の日本の電源構成について、原子力の比率を「0%」「15%」「20 ~ 25%」「35%」「数値を定めず、市場の選択に任せる」の4つの選択肢を打ち出した。日本と同じ物づくり大国ドイツが、福島原発事故のわずか4カ月後に、2022年12月31日までに原子力の比率をゼロにする」と決めたことに比べると、日本政府の態度は極めて慎重である。その理由は、日本がドイツとは違って再生可能エネルギーの拡大を行ってこなかったことや、電力を外国から輸入できないことにあるだろう。さらに、ドイツに比べると政府が市民の声よりも産業界、財界の意向を重視するという、我が国独特の習慣も影響しているに違いない。
あるドイツ人はこう語った。「日本は広島や長崎で核攻撃を体験し、放射能汚染の恐ろしさを体験した世界で唯一の国。その国がなぜ、原子力発電をこれだけ拡大してきたのか理解できない」。彼らの目には、福島原発事故後も原子力発電に固執する日本政府の 態度は奇異に映るようだ。
日本は、世界で最も地震が多い国の1つである。日本の国土は地球の面積の0.25%にすぎない。しかし1994年から2003年までに世界中で起きたマグニチュード6.0以上の地震の約23%が、日本で発生している。この危険は、今も去っていない。チェルノブイリを除けば世界で最悪の原子力事故を起こした我々は、ドイツそして世界に対して、今後どのような説明を行なうべきなのだろうか。
29 Juni 2012 Nr. 925