旧東ドイツのネオナチ・グループ「国家社会主義的地下組織」(NSU)が、ミュンヘンやロストックなど全国各地で外国人を中心に10人を射殺した事件については、これまでもこの欄で繰り返しお伝えしてきた。我々外国人にとって、身震いさせられるような犯罪である。
このNSU事件が、ドイツ国内での諜報活動を担当する憲法擁護庁の大スキャンダルに発展した。7月2日、憲法擁護庁のハインツ・フロム長官は、昨年11月に同庁の職員がNSU事件に関する7冊のファイルをシュレッダーにかけて廃棄した責任を取って、突然辞任した。さらにテューリンゲン州の憲法擁護庁のトップも、引責辞任に追い込まれた。
内務省の管轄下にある憲法擁護庁は、極左、極右組織、イスラム過激派、外国からのスパイなどを対象として、ドイツ国内で諜報活動を行う。過激組織の内情を探るために、そうした組織にスパイを送り込んだり、盗聴活動を行ったりすることを許されている。憲法に基づくドイツの国家体制を脅かすと見られる組織は、すべて監視の対象となる。
廃棄された書類は、憲法擁護庁が1990年代にNSU の内部事情を探るために行ったプロジェクト「レンシュタイク作戦」に関するもの。このファイルには、憲法擁護庁に協力した情報提供者たちの本名と暗号名などが記載されていた。
フロム氏が特に重く見たのは、憲法擁護庁の職員が昨年11月、連邦検察庁がNSUによる連続殺人事件の捜査を開始した翌日に書類を廃棄したこと。つまりこのファイルには、憲法擁護庁が検察庁に知られたくない、不都合な内容が含まれていたのだ。これは捜査妨害にほかならず、言語道断である。
書類を破棄した職員は、何を隠したかったのだろうか。憲法擁護庁は、外国人の射殺や爆弾テロ、銀行強盗を繰り返した3人を協力者としてかばっていたのか。それとも、彼らに資金や武器を提供していたのか。もしくは、これらのテロリストたちが無差別殺人を行っていることを知っていたのか。レンシュタイク作戦は2003年に終了したが、3人のテロリストが外国人殺害を始めたのは2000年。つまり憲法擁護庁のプロジェクトは、NSU のテロ活動の時期と部分的に重なるのだ。
憲法擁護庁は書類を裁断した職員に対する調査を開始したが、闇に葬られた事実が完全に解明されることは、非常に難しいものと思われる。
NSU事件では、不可解なことが多すぎる。3人の旧東ドイツ人は、11年間にミュンヘンやハンブルクなどでトルコ人、ギリシャ人など10人を射殺しただけではなく、外国人を狙って2件の爆弾テロを行なったほか、14件の銀行強盗によって60万ユーロ(約6000万円)を強奪していた。
警察と憲法擁護庁は1998年以来、3人のメンバーの行動を把握していたにもかかわらず、家宅捜索の際に逃亡され、昨年2人の男が自殺し、残りの1人が自首するまで足取りを掴めなかった。警察は、トルコ人の犯罪組織の内部抗争という先入観を持っていたために、外国人を狙った極右の連続テロであることに全く気付かなかった。ドイツの捜査当局は外国人には厳しく、右翼には甘いと言われることが多い。NSU事件は、戦後ドイツの捜査史上、最大の汚点の1つとも言うべき不祥事である。
憲法擁護庁は、「情報源の保護」を理由に、議会などの調査活動への協力を断ることが多い。だが憲法擁護庁のトップが引責辞任するというのは、前代未聞の事態だ。この際、連邦政府と議会は憲法擁護庁とネオナチの間にどのような関係があったのかを徹底的に解明し、膿を出し切ってもらいたい。
13 Juli 2012 Nr. 927