ジャパンダイジェスト

ウクライナ危機とドイツ

2月末にウクライナで起きた政変はクリミア半島に飛び火し、西欧諸国や米国まで巻き込む事態となった。ドイツ連邦政府のシュタインマイヤー外相は、この事態を「ベルリンの壁崩壊以来、欧州の安全保障にとって最大の危機」と呼ぶ。欧米とロシアが対立する「第2次冷戦」を懸念する論調も強い。

クリミア半島を「占領」したロシア

 3月初めから黒い覆面で顔を隠し、国家記章や階級章を軍服から外した完全武装の兵士たちが、クリミア半島の空港や議会の建物を占拠。ウクライナ軍の兵舎を包囲した。その数は3万人に達すると言われる。

私は、テレビカメラの前で公共施設を封鎖する兵士たちの姿を見て、1961年8月に東独人民軍の兵士や警察官たちが、東西ベルリンの境界線に立ちはだかり、街の分割を始めた光景を思い出した。

ロシアのプーチン大統領(以下略称)は、キエフでの激しい市街戦の結果、ヤヌコビッチ大統領が失脚したことについて、「外国のテロリストによるクーデターによって、国家元首が追い落とされた。新しいウクライナ政府を承認することはできない」と主張し、「クリミアのロシア系市民を守る」という大義名分の下、戦闘部隊を投入した。ウクライナはロシアが「近い外国」と呼ぶ国の1つであり、かつてソビエト連邦に属していた国だ。

武装集団
クリミア半島でウクライナ軍の歩兵部隊基地を巡回する国籍不明の武装集団

ウクライナの西側接近を警戒

プーチンが恐れているのは、ロシア寄りだったヤヌコビッチ大統領が失脚したことで、ウクライナの新政権が欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に加盟することだ。「近い外国」の一国が西側陣営に属することは、ロシアを取り巻く「防御帯」の縮小を意味する。1941年にナチス・ドイツ軍に侵攻されたソビエト連邦は、約2000万人の犠牲者を出し、国土が荒廃した。この記憶を持つロシアは、周辺国の西側諸国への急接近を強く警戒し、プーチンはウクライナのEUやNATOへの加盟を断固阻止しようとするだろう。

プーチンは、旧ソ連の秘密警察・対外諜報機関であるKGB出身。彼は過去に「ソビエト連邦の崩壊は、20世紀最大の惨事だった」と言ったことがあり、この言葉は、プーチンがソビエト連邦時代に強い郷愁を抱いていることを物語っている。彼が「近い外国」の国々からなる「ユーラシア連合」を創設しようとしていることも、EUやNATOに対抗する「東側陣営」を再生しようとする試みだ。

一方、ドイツなどEU加盟国と米国は、「ロシアのクリミア占領は、ウクライナの国家主権を侵すものであり、国際法に違反する」と強く批判。ロシアがクリミアから軍を撤退させない場合には、ロシア人へのビザの発給制限や、ロシア企業が西側に持つ資産の凍結を含む制裁を実施する方針だ。

EUはウクライナ新政権に、110億ユーロに上る経済援助を約束したほか、同国との間に提携条約を締結する方針で、これはロシアに対抗してウクライナ政府を強力に支援しようとする西側の決意の表れである。

EU経済に暗雲?

だが、旧ソ連のアフガニスタン侵攻後の経験からも明らかなように、経済制裁の効果は極めて低い。プーチンが経済制裁によって「改心」するとはとても考えられない。逆にロシアは、制裁に報復するためにEU向けの天然ガスなどの供給を減らす可能性がある。EUはエネルギー源をロシアに大きく依存しており、EU諸国が輸入する天然ガスの約3分の1はロシアからのものである。EUの石油、石炭についても、ロシアは最大の供給国だ。2009年にはロシアがウクライナへのガス供給を一時止めたために、ブルガリアやスロバキアなどのEU加盟国も影響を受けた。

さらに、ドイツはEUの制裁に同調する姿勢を打ち出したものの、ロシアと密接な経済関係があることから、当初制裁には及び腰であった。メルケル首相が、制裁よりもロシアと「コンタクト・グループ」という協議の場を作ることを最重視したのはそのためである。

ドイツは、ロシアの貿易額の8.7%を占め、同国にとって世界で3番目に重要な貿易相手国だ。現在ロシアでは約6100社のドイツ系企業が活動しており、投資額は約200億ユーロ(2兆8000億円・1ユーロ=140円換算)に上る。

ウクライナ危機は、ロシアと西欧間の経済紛争に発展する危険性がある。その場合、ユーロ危機後の不況からの回復途上にあるEU経済は、打撃を受けることになるだろう。

リーダー役を期待されるドイツ

親ロシア派のクリミア議会は、3月11日にウクライナからの独立を宣言した。この記事が掲載されるときには、すでにクリミア半島での住民投票が終わっているはずだ。住民の過半数を占めるロシア人は、この投票を通じて、クリミア半島をロシアに帰属させることを要求するだろう。その場合、EUと米国はロシアへの姿勢を硬化せざるを得ない。だがプーチンは、EUも米国も武力介入できないことを知っている。米国はもはや「世界の警察官」ではないからだ。

ウクライナ危機は、ドイツそして欧州全体に長期間にわたって暗い影を落とすだろう。歴史的にロシアとの関係が深いドイツには、プーチンとの交渉役として大きな期待が掛けられている。メルケル首相は危機のエスカレートを防ぐことができるのだろうか。

21 März 2014 Nr.974


 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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