今年11月9日は、1989年にベルリンの壁が崩壊してから、ちょうど25年目だった。壁崩壊は、その後の欧州を大きく変えたドイツ史の中で最も劇的な事件の1つである。この出来事を回顧するために、ベルリンで盛大な記念式典が開かれた。メルケル首相(キリスト教民主同盟=CDU)は、「今日は、壁を越えようとして射殺された人々に思いをいたす日でもある。東ドイツは不法国家だった」と述べ、許可なく国境を越えようとした市民に対する射殺命令を出していた社会主義政権を批判した。
同時にメルケル首相は、ウクライナ東部やシリア、イラクの市民に対するメッセージとして、「現在多くの人々の、自由を享受する権利が脅かされている。だが、ベルリンの壁崩壊は、(自由を取り戻すという)彼らの夢も叶うかもしれないという希望を与えてくれる。変えられないものは1つもない」と述べた。
25周年記念フェスティバルでチェックポイント・チャーリーに集まった人々
東ドイツ人の勇気
変化を求めて壁を壊したのは、東ドイツ市民である。政治的に硬直し、経済的に疲弊していた社会主義政権は、1980年代末にこの国で起こった民主化要求運動を押しとどめることができなかった。ホーネッカー政権に弾圧されていた教会関係者や芸術家らを中心として、人々は身の危険を顧みずにデモを始めた。その意味で、東ドイツ人たちの勇気に敬意を表したい。
さらに、1980年にポーランドで社会主義政権から独立した労働組合「連帯」を作った労働者たち、1989年夏にハンガリーとオーストリア間の国境を開放し、東ドイツからの難民を西側に脱出させたハンガリー政府の貢献も忘れられない。彼らも、ベルリンの壁崩壊に繋がる長いプロセスの中で、重要な里程標を打ち立てた。
また、当時のソビエト連邦(以下、ソ連)の最高指導者がゴルバチョフという稀有な指導者だったことも、ドイツにとっては幸いした。彼はベルリンの壁が崩壊したとき、この街から北へ30キロの地点に駐留していた戦車部隊を投入しなかった。1953年にベルリンやほかのドイツ東部地域で起きた市民による民主化要求デモは、ソ連軍に制圧されて多数の死傷者が出た。流血の惨事の再現は避けられたのだ。
壁崩壊が可能にしたサクセスストーリー
「変えられないものはない」というメルケル首相の言葉には、彼女の人生に対する想いも込められている。彼女は、社会主義時代に東ベルリンの研究所で物理学者として働いていた。壁崩壊後に徒歩で西ベルリンへ行き、その劇的な変化に感動した。そして、全く経験のなかった政界に身を投じたところ、当時の首相であったコール氏に抜擢され、連邦青年家庭相、連邦環境相、CDU幹事長と、瞬く間に出世した。
2005年にはドイツ初の女性首相の座に就き、今では欧州連合(EU)における事実上のリーダー国の指導者として、内外から深い信頼を受けている。牧師の娘として、西側に政治的な地盤も血縁もなかったメルケル氏が首相の座に上り詰めたのは、壁の崩壊とドイツ統一が可能にしたサクセスストーリーである。
私は1989年11月にNHKの記者として壁崩壊を取材して以来、ベルリンに何度も足を運んでいるが、壁は次々に取り壊されて、ほとんどの地域で姿を消した。ベルリン市民にとって、壁は28年間にわたり街を分断した憎き存在だったからだ。彼らは、できるだけ早く壁を撤去したかったのである。同時に、統一直後のベルリンでは、壁が東西間の交通の大きな妨げになっていたという現実的な理由もある。
今日、壁が残っている地域は、ほんの一部しかない。私は1980年にチェックポイント・チャーリーという国境検問所を通過して東ベルリンへ行ったことがあるが、壁が消えた今日のベルリンでは、当時の封鎖されていた都市の威圧感や国境付近の重苦しい空気は、全く感じられない。ベルナウアー通りの「ベルリンの壁資料館」の前に壁の一部が残されているが、そこからは国境地帯の閉塞感は伝わらない。今年の記念式典で、壁があった場所に明かりを灯した約7000個の風船を並べたアイデアは興味深く感じたが、ベルリンだけで138人もの命を奪った非情な壁を再現し得るものでは到底なかった。
新たな冷戦に歯止めを!
私がベルリンの戦後史に関する本の執筆で取材した際に強く感じたことは、冷戦時代の西ベルリンに駐留し続けた米軍の存在の重さである。社会主義国・東ドイツに浮かぶ孤島だった西ベルリンに、ソ連が最後まで手を出せなかった大きな理由は、米軍の守備隊がいたからである。ソ連の保守派も、米国との軍事衝突までは欲しなかった。もしも米軍がそこにいなかったら、西ベルリンはソ連陣営に飲み込まれていたかもしれない。その意味で、高いコストを注ぎ込んで西欧をソ連から守った米国の功績は、評価されるべきだ。
ベルリンの式典に招かれたゴルバチョフ氏は、「欧州に新たな冷戦が近付いている」と警告した。ロシアがクリミア半島を併合し、ウクライナ東部の内戦で分離独立派を支援していることは、欧州がベルリンの壁崩壊以来体験する最も深刻な危機である。
ドイツをはじめとする欧州諸国は、ウクライナ危機がエスカレートするのを避けるために、さらなる努力をする必要がある。西欧がロシアのあからさまな国際法違反や他国の主権侵害を放置すれば、悪しき前例となるだろう。
21 November 2014 Nr.990