ジャパンダイジェスト
Thomas Köhler

日本人が
立ち上がろうとしているのだから、
僕も立ち上がらなければ

今回の仕事人
Thomas Köhler
トーマス・コーラー

スイス出身。旅行代理店経営者。職業専門学校家具デザイン科卒。木工修復業に携わりながら、日本語を学ぶ。30歳で日本へ渡り、1年半滞在。帰国後は旅行業界に転職。2007年よりプライム・トラベル社の日本担当。11年の東日本大震災後、仕事を失う。同年、日本列島を徒歩で縦断。帰国後旅行代理店「japan-ferien.ch」を立ち上げた。

2011年3月の東日本大震災後、スイスの旅行代理店の日本担当だったトーマス・コーラー(45)は職を失った。しかし、その後の彼の行動は日本人を力付け、日本への旅行客は戻ってきた。復興を願い、巡礼者のごとく徒歩で日本を縦断した彼を追ったドキュメンタリー映画「negativ: nothing(全てはその一歩から)」が、昨年秋から東京やスイス各地で上映されている。

日本に行かなければ

トーマスは、ベルリンっ子の父とスイス人の母の下、チューリッヒ近郊の町ヴィンタートゥアで生まれ育った。7歳の時、クラスに横浜で生まれ育ったスイス人の男子転校生がやって来た。「その子にとっては日本が故郷でね、いつも日本に帰りたいと言っていたよ」。トーマスは彼から日本の話を聞くのが何よりも楽しみだったと言う。最初の「日本」との出会いだった。

ティーンエイジャー時代は音楽に没頭。クラシックギターにのめり込み、ギター職人を夢見るが、スイスには養成の場がない。そこで、木工職人である父の助言に従い、まずスイスで木工職人になり、ドイツへ行ってギター職人に弟子入りしようと考える。だが、修業中にその夢は色褪せていった。兵役を終えると、職業専門学校の家具デザイン科を卒業。1年間にわたり、南アフリカでスイス企業向けの内装業に従事した。

スイスに戻ると、「日本に行かなければ」いう切実な思いが募り始めた。でも、日本に行くなら日本語をある程度習得してから行こうと決意。でなければ、日本の文化を深く知ることは無理だと思ったのだ。トーマスは木工製作所に就職し、主に修復や復元の仕事をしながら、週に2回、市民大学(VHS)の夜間の日本語コースに通った。2年が経ち、片言の日本語が話せるようになった頃、日本行きの計画を立て始めた。

30歳で初めて日本の土を踏む

30歳の時に辞表を出し、日本へ向かった。単なる旅行にはしたくなかった。最初の4カ月は、当時埼玉県深谷にあった渋沢インターナショナル・スクールに通った。身体を動かすことが好きで、以前からマラソンをしていた彼は、アウトドアを楽しみながら勉強ができるようにと、地方の学校を選んだのだ。滞在の後半は旅をした。「最南端から最北端へ行こうと思い、沖縄県の波照間島を起点に北海道の宗谷岬まで行った」。日本滞在は1年半に上った。

帰国後は木工の仕事には戻らず、旅行代理店に就職。大手の旅行会社が未経験の彼を受け入れてくれ、働きながら仕事を学んだ。1年後、チューリッヒのJALPAKに転職。仕事や休暇で度々出掛け、日本は第2の故郷になっていた。事務所撤退の知らせを受け、7年勤めた同社を退職。転職先のプライム・トラベル社は日本旅行を提供していなかったため、上司を説き伏せて日本デスクを立ち上げ、軌道に乗せた。同社で4年目を迎えた2011年の春、東北地方太平洋沖地震が起こった。

日本列島を徒歩で縦断

「僕の顧客はスイス人ばかり。津波と福島の原発事故の被害が報じられると、 日本への客足がぱたりと止み、仕事がなくなった。上司は東南アジアを開拓してはどうかと勧めてくれたが、日本との仕事ができないなら続ける意味がなかった」。トーマスは合意の上で解雇された。

「原発事故の情報ばかり流れて来るけれど、日本全国が危険なわけじゃない。日本は広く、そのほとんどは安全であることをスイス人に解らせないと!」。そのために行動を起こす必要があった。最初に思い付いたのが、日本をマラソンで縦断し、安全をアピールすること。だが、マラソンには荷物の運搬が必要で、1人では実行できない。そこで徒歩での縦断を決め、早速準備に取り掛かった。スタート地点は14年前に長旅を終えた宗谷岬。日本海沿いを南下し、ゴールは鹿児島県の佐多岬。全長2900キロ、5カ月の旅になる。まずは、テントや寝袋などの装備の耐久性を全天候下でテストした。また、荷物の総重量を1グラムでも軽くするため携行品を厳選。バックパックは14キロとなった。長距離を歩くトレーニングも開始。14キロの荷物を背負い、20 ~ 30キロの距離を何日も続けて歩く訓練を積んだ。訓練中不安がよぎった。「バックパックがやたらに重くてね。でも、毎日担いで歩き、慣れるしかなかった」。トレーニングは3カ月に及んだ。

7月半ばに日本へ向かい、まず宮城県石巻市でがれき撤去などのボランディア活動に参加。気持ちを引き締め、北海道へ向かった。「宗谷岬を出発した時、僕の身体は長距離を歩くことにすっかり馴染んでいて、もうずっと前から旅をしているような気がした」と言う。旅の間は毎日ブログを発信し続けた。まもなく、日本のメディアが相次いでトーマスを取材。そして友人のジャーナリスト兼映画監督のヤン・クヌーセル、映画監督であるヤンの兄、シュテファン・クヌーセルがドキュメンタリー映画の撮影を開始。2人は3度にわたって来日し、体力の限界に挑戦して歩く旅人をそっと見守るようにカメラを回し続けた。

ネガティブ:なし
映画のタイトル「ネガティブ:なし」は、
トーマスが旅の間に毎日書き続けたブログの締めくくりの一言

2900キロの旅の果てに

最後の数週間、トーマスは膝を痛め、旅の中断を考えざるを得ないところまで追い詰められた。「でもね、僕が出会った日本人は皆前向きだった。日本人が立ち上がろうとしているのだから、僕も立ち上がらなければと思った」。そうして彼は大晦日に無事旅を終えた。旅の成果は思わぬ形で実を結んだ。観光庁から感謝状が贈られることになったのである。2012年2月6日、東京のスイス大使館で表彰式が行われ、その後、仕事の展望が開けてきた。彼は、これまでの自分の経験を総動員すれば、日本専門の旅行代理店を立ち上げられるのではないかと思い始めた。そして、旧知の日本の旅行代理店各社に協力を要請し、7月に会社を起こした。日本を知り尽くした彼の細やかな旅のコーディネートに顧客の評価も上々。ビジネスは順調に滑り出している。

映画は5月下旬にハンブルク日本映画祭で上映予定。
negativenothing.com/ja/watch

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TEL: +41 (0)52-5359050
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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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