2002年7月頭、ベルリンの地元紙の一面に「ベルリンに再び王宮が建つ」という見出しの記事が載ったときの驚きをよく覚えている。ちょうどサッカーの日韓W杯が閉幕した直後、ドイツ連邦議会がベルリン王宮の再建を可決したのだった。
フンボルト・フォーラムのシュリューター・ホーフ
当時そこには東独時代の共和国宮殿がまだ建っていた。「21世紀になってプロイセン時代の王宮を再建する意味などあるのか? 東独時代の遺産を残すべきだ」という声も強かったが、2006年から数年かけて鉄骨の遺構が解体され、2013年には定礎式が行われた。当初の予定より2年遅れたものの、この7月20日、フンボルト・フォーラムの名でついにオープンの日を迎えた。
その週末、U5の真新しいムゼウムスインゼル駅で降り、エレベーターを上がると、王宮のドームが見えてきた。あの新聞の記事からもう18年も経ったのかと思うと感慨深い。王宮の歴史的外観に倣って再建された第4門から中に入ると、パサージュと呼ばれる通り抜けの回廊が広がる。右手の入口から入場すると、そこがチケット売り場やインフォメーションが集まるホワイエだった。
フンボルト・フォーラムは芸術、文化、学術、教育をテーマにした複合施設であり、いくつものミュージアムや学術機関を収容している。とても1回では回り切れないので、今回は「ベルリン・グローバル」という展示に絞って観ることにした。「ベルリンで起きた多くの出来事は世界を変えた。世界で起きた多くのこともベルリンに影響を及ぼした」とパンフレットに書かれているように、この都市の歴史をグローバルな視点で捉え直す試みだ。入口で渡される腕輪を付け、それを折に触れて展示物にかざしながら回る体験型で、時に日本語も表示される。
マルチメディアを駆使した「ベルリン・グローバル」の展示
新鮮な発見がいくつもあった。例えばGrenzen(境界)という展示では、普通はベルリンを東西に分けていた壁をまず想像する。だがそれだけでなく、ナチス時代にユダヤ人を社会から締め出し(Ausgrenzen)、殺害した負の過去。さらに、1884年にアフリカ分割について列強の間で話し合われたベルリン会議にも触れられており、「欧州の植民地主義は現地の人々への抑圧と搾取の上に成り立っており、人種的な分け隔て(Abgrenzen)に基づいていた」と記されていた。
フンボルト・フォーラムは19世紀のフンボルト兄弟の理念を受け継ぎ、世界のさまざまな文化の対話の場となることを目指している。秋にこの中にオープンする民族学博物館のコレクションが、ドイツの植民地主義の歴史と密接に関わっているだけに、「対話」はこのフォーラムの根幹に関わる価値だ。ベルリン・グローバルの展示一つ取っても、誰をもフラットかつオープンに迎えるフンボルト・フォーラムの姿勢が強く表れていた。2002年に比べると、世界中に物理的、心理的な境界や分断が増殖している。そんな時代に、王宮の衣をまとった新たな対話の空間がベルリンの中心部に誕生したのはうれしい。
フンボルト・フォーラム
Humboldt Forum
7月20日のオープン後、最初の100日は入場無料。現在、「ベルリン・グローバル」のほか、フンボルト・ラボ、王宮の地下の遺構、子ども向けの展示「Nimm Platz!」の時間指定チケットを下記サイトから予約可能。中庭に面したカフェやショップも営業を開始した。9月末には、民族学博物館とアジア美術館がオープンする予定。
オープン:日月・水木10:00~20:00、金土10:00~22:00
住所:Schloßplatz, 10178 Berlin
電話番号:030-992118989
URL:www.humboldtforum.org
ベルリン・グローバル
BERLIN GLOBAL
ベルリン市立博物館が運営する4000平方メートルもの展示。革命、余白の空間、境界、娯楽、戦争、モード、相互的なつながりという七つのテーマに分けて、都市ベルリンの過去、現在、未来を多角的に紹介している。腕輪を付けて各所で自分に合った考え方に投票すると、最後にその結果が提示される。一通り見て回るのに2時間は必要だ。
オープン:フンボルト・フォーラムと同じ
URL:www.berlin-global-ausstellung.de