この1月、ある著名な音楽家にインタビューする機会があった。場所はシャルロッテンブルク地区の湖、リーツェンゼーに面したホテル。インタビューやミーティングはオンラインが当たり前となった昨今、対面でのインタビューは久々だった。
雪化粧に覆われたリーツェンゼーの湖畔にて
人に会う前は緊張もするが、80代に入ったマエストロの含蓄のある言葉や常にベストの準備を尽くすその姿勢からは感じるものが多くあった。約1時間のインタビューが終わると、人にじかに接することでしか得られない充実感に包まれた。
空気は冷たいが、久々の青空。リーツェンゼーに架かる橋を渡ると、眼下の湖と木々が銀世界に覆われていた。安堵(あんど)とともに気分が高揚していたので、久々にこの湖のほとりを歩いてみたくなった。
もともとは氷河時代に谷の底だったことから生まれた三日月形の湖だ。この南北に細長い湖は20世紀初頭、東西を結ぶノイエ・カント通りのために造られた堤防により、北半分と南半分に分けられた。当時、この湖周辺を含めたベルリン西地区には多くの新興住宅が生まれたが、1910年にシャルロッテンブルク市(当時は独立した市)は西岸と北岸は建物で埋め尽くさないという決定を下した。それにより、湖の西岸が公園として整備されることになる。
晴天と雪景色に誘われてか、多くの人々が湖畔を散策していた。湖畔に立つ堂々たる巨木を眺め、新鮮な空気を吸いながら、心がすっとするのを感じた。
西岸の一角に、かつて詩人フリードリヒ・シラーの大理石像が立っていたのを知る人は今日では少ないかもしれない。もともとこの像はジャンダルメンマルクトのシャウシュピールハウス(現コンツェルトハウス)前に立っていたが、1936年にナチがこの広場を軍事パレードの場所に変えようとした際に撤去。複雑な経緯を経たのち、第二次世界大戦後の1952年、シラー像は西ベルリンのリーツェンゼーの公園に飾られ、この像の周りを彩っていた寓意(ぐうい)像は東ベルリンの倉庫に保管されることになった。
コンツェルトハウス前に立つシラー像とその周りを彩る寓意像
この地区に長年住む知人が懐かしそうに語る。「子どものときから湖畔にシラー像は立っていたわ。待ち合わせにもよく使われるなど、西の人々にとって愛着のある像だった。それだけに、撤去されて東側に運ばれていった時は悲しかったわね……」。
1986年、東西間で文化交流協定が結ばれたことにより、ばらばらになったシラー像の再統合が可能になった。そして1988年、コンサートホールとして再建されたシャウシュピールハウスの前に、あのシラー像が再び立ち構えたのである。
もっとも、私の知人をはじめとする西ベルリンの人にとって、シラー像がリーツェンゼーから撤去されたことは悲しみで終わらなかった。ベルリンの壁が崩壊した1989年末、シャウシュピールハウスでシラーの「歓喜に寄せて」をもとに生まれたベートーヴェンの交響曲第9番が鳴り響いた。まるでこの湖から一足早く東西ドイツ統合のために旅立ったシラー像が、人々に喜びをもたらしたかのようだ。
リーツェンゼー
Lietzensee
シャルロッテンブルク地区にある6.6ヘクタールの湖。1918年から20年にかけて、庭園監督エルヴィン・バルトにより湖の周りが公園として整備された。湖の南側にある大カスカーデ(人工の階段状の滝)はその時代の代表的な遺産。水深が浅いため、氷点下が続くと湖上がスケートリンクに変貌することもある。
住所:Witzlebenplatz 1, 14057 Berlin
ジャンダルメンマルクト
Gendarmenmarkt
ミッテ地区の美しい広場。その中心に構えるコンツェルトハウスは、シャウシュピールハウスの時代から数えて昨年創設200年を迎えた。コンツェルトハウス前のシラー像は、この詩人の生誕112年の1871年11月に除幕された。像の周りには、シラーの創作を象徴する四つの分野(詩、悲劇、哲学、歴史)を擬人化した寓意像が置かれている。
住所:Gendarmenmarkt, 10117 Berlin
URL:www.konzerthaus.de