地下鉄の駅でちょっと気になる美術館のポスターを見つけた。その名も「Das Kleine GroszMuseum」。ベルリン出身でこの街のダダイズムを主導したジョージ・グロス(1893-1959)の新しい美術館らしい。彼がハンガリー語表記に改名する前のもともとの姓Großは、「大きな」という意味。「小さくて大きな美術館」という言葉遊びにクスッとさせられ、1月の週末に行ってみることにした。
小さな美術館ゆえホームページから時間指定のチケットを事前予約して、土曜の午前、バスでビューローシュトラーセ駅まで行った。ガタゴト音を立てて走る地下鉄の高架に沿って少し歩くと、左手に美術館があった。門から敷地に入ると、目の前は小さな庭。振り返ると竹やぶがあり、池にはコイが泳いでいる。赤い柱を持つ大きな屋根が、やはり赤に縁取られた正面の建物と対照を成している。
不思議で面白い場所だなと思ったら、実は古いガソリンスタンドだったことを後から知った。ギャラリーを経営するユルク・ユーディンは15年ほど前にこの場所を買い取り、住居とアトリエに改造した。グロスの大ファンでもある彼は、かねてから常設展示のスペースを探していたベルリンのグロス協会に場所を提供して、この美術館が誕生したという。
シェーネベルク地区にある「小さなグロス美術館」。歴史的なガソリンスタンドを改造して生まれた
たっぷり日が差し込むエントランスホールに荷物を預けて、新しく建てられた別館の展示場に行く。労働者の家庭に生まれたグロスは、第一次世界大戦で自ら志願兵となり、戦争のリアリティーと社会の崩壊を体験した。このことがグロスに決定的な影響を与える。ワイマール時代に入ると、彼は政治や軍隊、教会の首脳部といった権力への鋭い風刺を込めた作品を次々に発表し、社会の上層と下層の格差をあぶり出した。グロテスクで、独特の猥雑さを帯びた作風は観ていて心地良くはないものの、今この時代でこそ新たな輝きを放っているとさえ感じた。
別館の常設展の様子
2階の特別展では、1922年の彼のソ連への旅に焦点が当てられる。ダダイストの多くの仲間たちと同様、グロスはドイツ共産党に入党した。ソ連を公式訪問した初の造形芸術家として、レーニンやトロツキーと面会するなどの高待遇を受けたが、独裁政治に幻滅したようだ。翌1923年、ドイツ共産党から脱退している。
政治に鋭い嗅覚をもっていた彼は、すでにこの年、ヒトラーの危険性に警告を発している。ナチからは「退廃芸術」の烙印を押され、1933年に米国に亡命。その途上、2人の息子に宛てて大きな紙に船旅の様子をイラストで描いた手紙は、彼の安堵感とユーモアを垣間見させてくれた。
晩年はうつ病を患い、1959年に夫人の勧めで最終的にドイツに戻る。しかし、その数週間後、酒に酔って階段から転倒し亡くなった。奇しくも生まれ故郷の西ベルリンで65歳の生涯を終えたのだった。
小さい美術館だが、グロスが生きた時代に浸りながら空間以上の奥行きを感じた。次は居心地の良さそうな併設のカフェにも入ってみたい。
小さなグロス美術館
Das Kleine Grosz Museum
画家ジョージ・グロスの作品と生涯に焦点を当てた私営美術館。入場料は10ユーロ(割引6ユーロ)で、基本的にホームページから事前予約する形を取っている。2022年5月にオープン後、この場所での展示は5年間の期間限定で、人々にどう受け入れられるかによって、その後の常設展に向けた方向が検討されるそうだ。
オープン:木~月11:00~18:00
住所:Bülowstr. 18, 10783 Berlin
電話番号:030-22439634
URL:www.daskleinegroszmuseum.berlin
「1922年–ジョージ・グロスのソ連への旅」
1922 – George Grosz reist nach Sowjetrussland
「小さなグロス美術館」で開催中の特別展。未公開の作品や歴史的な資料により、これまであまり知られていなかったグロスのソ連への旅に光が当てられる。開催は今年4月30日まで。5月からの特別展では、グロスが米国時代に描いた、人間性を失い奴隷状態にある「スティックメン」(棒人間)のシリーズが紹介される。