4月14日、息子を連れてシュロスシュトラーセからリヒターフェルト・ズート行きのM85バスに乗った。例年は4月下旬から5月頭に開花を迎えるブランデンブルク州テルトウの桜だが、今春は早まっていると知り、急いで観に行くことになった。
Lippstädter Str.のバス停で降り、人の流れに沿って南に5分ほど歩くと、右手に桜並木が見えてきた。この日は肌寒く、桜の見頃はすでに過ぎ去りつつあったが、そのことはさほど問題ではない。ベルリンの壁崩壊から35年を迎える今年の春、この桜を愛でながら思いを巡らせたいと思ったからだ。
日本のお茶の間にも壁崩壊の衝撃的なニュースが伝わって間もない時期、テレビ朝日がベルリンの壁跡に桜の苗木を贈るキャンペーンを行った。バブル期の日本、たちまち2万人の視聴者から1億4000万円ほどの募金が集まった。
開花を迎えたテルトウの桜並木(2021年5月撮影)
テレビ朝日の現地スタッフ(当時)として、この未踏の領域に足を踏み入れることになった寺崎哲夫さんはこう語る。「東西の境だった場所ですから、土地の持ち主も分からないわけです。区の緑地課や管財署と交渉する手続きに何年もかかりました」。
1990年11月にベルリンとポツダムの境にあるグリニッケ橋のたもとに最初の2本が植えられたが、テルトウで植樹が始まったのは1995年。「ベルリンで開催された植樹推進会議には各区の緑地課課長にも参加いただき、桜の種や土地の汚染状況などの植樹条件について真剣な意見交換が行われました。それまでほとんどなかったベルリン市とポツダム市の課同士の交流も生まれて好評でした」。
日本で桜といえばソメイヨシノだが、ベルリンでは寒さに強く開花期間も長い八重桜が主流。日独のさまざまな経験とアイデアが生かされた。
寺崎さんから印象に残る話をいくつも伺った。「中学生の時にたまたま募金してくれたカップルが結婚することになって、新婚旅行でベルリンを訪れてくれたのです。桜祭りのセレモニーで彼らを紹介したら、感動した地元の人たちから大きな拍手が起こって……」。「桜並木の途中でSバーンが下を走っていますよね。ドイツ鉄道は当初『線路を延長する予定だから桜並木は迂回してほしい』と主張しました。すると、テルトウのサイクリング・クラブと環境保護団体が熱心な署名活動をして、結局ドイツ鉄道は地下トンネルを掘って対応してくれたんですよ」。
ベルリンの壁崩壊からの歩みを紹介するパネル
あれから35年、寺崎さんは今も責任をもって桜の管理を継続してくれている各区と地元の人々への感謝の気持ちを忘れない。そしてこんな話をしてくれた。「桜を通じて生まれた交流は、日本とドイツという枠をはるかに超えました。毎年ムスリムの人もユダヤの人も、ほかのアジア諸国の人たちも桜を楽しんでいる。こんな時代ですが、誰もが肩身を狭くしないで生きられる社会だといいなと思いますね」。
壁を造って分断するのも、桜を育てて愛でるのも、同じ人間。平和を願って生まれた並木の桜が、今年も分け隔てなく人々を喜ばせた。
桜植樹キャンペーン
Sakura-Campaign
「ベルリン市民の心の安らぎと平和を願って」テレビ朝日が1990年に行ったキャンペーン。2010年、ベルリンの壁が最初に開かれたボルンホルマー通りに最後の23本の桜が植樹された(寺崎さんによると、キャンペーン全体で計9180本)。ここに植えられたのは十月桜。春だけでなく、壁崩壊の記念日(11月9日)の頃にも咲くようにというベルリン市のアイデアだ。
テルトウの桜並木
Japanische Kirschallee in Teltow
ゼーホーフ地区のリヒターフェルトアレーからジークリットホルスト地区の日本角(Japan-Eck)まで約2キロに及ぶ桜並木。2012年に「テレビ朝日さくら平和通り」(TVAsahi-Kirschblütenallee)と名付けられている。例年は4月中旬頃に開花し、約3週間桜を楽しめる。Sバーンの最寄りはLichterfelde Süd駅。
住所:Mauerweg, 14513 Teltow
URL:www.hanamifest.org