お祭りが行われたニコライ教会前にて。
プロイセンの地方警官に扮した男性は、頻繁に記念撮影に応じる
今年2012年は、ベルリン市の市制775周年である。ブランデンブルク司教と辺境伯との間で交わされた1237年10月28日の文書で、シュプレー川を隔ててベルリンの双子都市の関係にあったケルン(Cölln)の名前が初めて登場する。これが、都市ベルリンの公式な起源とされている。
もっとも、1237年といったところでピンとくる人は少ないだろう。破壊と再生をドラマチックに繰り返してきたベルリンにおいて、近世以前の面影を見出すことは不可能に近い。それでも期待を胸に、8月最後の週末に行われたお祭りと記念展示を見に出掛けた。
ニコライ教会の周辺は、人でごった返していた。ここは、1987年の市制750年の際、当時の東独政府が中世風の街並みを再現したエリア。石畳の道を歩いていると、18世紀の国王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世らしき格好をした人が、杖をついてこちらに向かって来るではないか。それだけではない。ちょっぴりキザな仕草を見せるフリードリヒ大王、17世紀にフランスから逃れてきたユグノー教徒の青年。かと思えば、制服でびしっと身を構えた、身長約2メートルの初老の男性が、小気味いいリズムで歩いてきた。これはジャンダルムリと呼ばれた地方警官なのだそう。演出とはいえ、この街の歴史を彩ってきた人たちがここかしこに混じっているのは楽しい。
ニコライ教会からミューレンダムを通ってシュプレー川を渡り、ペトリ広場へと続く通りは、中世の時代にはメインストリートだった。東独時代に建てられた高層アパートが並び、当時の面影など何もないように見えるが、ここはかつてケルンの中心で、ペトリ教会がそびえていた広場。2008年からこの場所で始まった考古学調査により、中世の人骨や住居跡、生活用品が多数発掘され、1237年より大分前から都市ベルリンの萌芽が見られることが確認されたのである。歩道の上にはしばしば道しるべとして、当時の生活をしのばせるテキスト情報が白地でマークされている。例えばこんな具合だ。 「このフィッシュマルクトでは、商人がシュプレー川とハーフェル川の新鮮な魚を売っていた。バルト海のニシンもここで手に入った」「中世のグローバルな労働市場:ドイツの染色工がフィレンツェで、フラマン地方の織物師がベルリンで働いていた」
ベルリンの水運を担ってきた歴史的な港
アスファルトとビルの下に眠る中世は、我々が想像するより遥かに活気あるものだったのかもしれない。近くの港には、歴史的な船が次々にやって来て、蒸気の匂いが立ちこめる。13世紀当時、すでにベルリンの商人はフラマン地方の布を求めて遠隔の旅に出ていた。また年市場は大きな賑わいを見せ、オリエントから貴重な香辛料がもたらされることもあったという。
ニコライ教会に戻る途中、こんな言葉が目に入った。「今日、ベルリン市民の約27パーセントが移民の背景を持っている。775年前は100パーセントだった」
グローバル化の良きも悪きも体現した現代のベルリンだが、物事を一歩引いて眺める、こんな柔軟な視野を持った都市であり続けてほしい。
野外展示「中世はわれわれの下にある」
Das Mittelalter ist unter uns
ニコライ地区、ペトリ広場、モルケンマルクト(乳清市場)、市壁跡など、ベルリン発祥の地に沿ってインフォボックスが並び、中世から現在までのつながりを知ることができる(英独表記)。マリーエン教会(Marienkirche)前には中央インフォメーションが立ち、パンフレットなどを入手できる。2012年10月28日(日)までの開催。同日ベルリン市は大規模なお祭りで市制775年を祝う。
入場無料
電話番号:(030)247 49 888
URL:http://www.berlin.de/775
ニコライ教会
Nikolaikirche
ニコライ地区の中心にあるベルリン最古の教会。漁師の守護神である聖ニコラウスに因み、1230年頃に建設が始まった。当初は1つの塔を持つ教会で、現在のネオ・ゴシック様式の姿になったのは19世紀後半のこと。第2次世界大戦で破壊された後、1980年代に再建。近年大規模な改修工事が行われ、常設展が一新された。
入場料:5ユーロ(割引3ユーロ)。毎月第3水曜日は無料。
オープン:月~日10:00~18:00
住所:Nikolaikirchplatz, 10178 Berlin
電話番号:(030)24 002 162
URL:http://www.stadtmuseum.de