「ぼくは、美を空気として呼吸しながら育つことができた」*1……1899年ドレスデンに生まれ育った作家エーリヒ・ケストナーは、自身の伝記的著書『わたしが子どもだったころ』に、こう言葉を残しています。旧市街地区に立つ宮殿や劇場、気持ちの良い庭園や池の景色は、彼にとって色鮮やかに残る美しい思い出だったようです。かつて宮廷都市として栄えたドレスデンには、現在も美しい歴史的建造物と豊かな自然が共存していますが、これらの建造物は1945年の空襲で破壊された後に再建されたもの。宮廷を中心に花開いた文化は街のシンボルですが、この損壊もまた歴史を象徴するものの1つです。今回ドレスデンからのレポート最終回をお届けするにあたり、さまざまな顔を持つドレスデンを見直してみました。
宮殿や劇場の立つ旧市街地区
「エルベのフィレンツェ」と称されるエルベ川岸には、聖母教会やホーフ教会といった歴史的建造物が並び、その美しい景観のシルエットが、豊かな芸術文化と市民の暮らしを象徴しています。この旧市街地区が戦争による犠牲となったことで、戦争の暴力性がよりはっきりと示されました。一方でドレスデンが受けた被害が、ナチスの行ったホロコーストなどの加害行為から目をそらすため、政治的に利用されてきたというのも事実です。
戦後は東独を代表する一都市として復興し、1989年のベルリンの壁崩壊前には、市民のよりどころである聖母教会前から、市民たちによる自由と平和を希求する運動が展開。聖母教会が東西ドイツ再統一後に再建された際には、爆撃を受けた石が一部回収され、元の位置にはめ込まれました。そのためこの教会は、華やかな歴史だけでなく、戦争の痛ましい記憶も残す、この街にとって大切な復興のシンボルでもあります。
市民の暮らしを間近に感じる新市街地区
エルベ川を越えた新市街地区の入り口にあるアルベルト広場は、路面電車が通り、人々が憩う、朝から晩までにぎわいが絶えないドレスデンのもう1つの顔です。ケストナーは、幼少期にこの広場脇に立つ伯父の家から行き交う人々を飽きずに眺めていた、と著書に記しています。広場の先の外新市街地区(Äußere Neuestadt)に入れば、19世紀末の建物が残る通りにカフェやバー、雑貨店が立ち並び、地域の人々の生活の場が広がります。東独の時代には、経済的な問題を抱える人々や若い芸術家たちが住んでいた地区でもありました。
郊外にはワイン畑や緑が広がる
私はドレスデンに住んだことで、歴史と人々の暮らしとが重なり合って培われた街の多様性を見ることができました。ドレスデンからのレポートは今回が最後ですが、これからもこのコーナーでドイツの街々の魅力が発見され、発信されていくことでしょう。私も一読者として楽しみにしています。
*1 クラウス・コードン/著 那須田淳・木本栄/訳『ケストナー ナチスに抵抗し続けた作家』P12
東京都出身。ドイツ、西洋美術への関心と現在も続く職人の放浪修行(Walz ヴァルツ)に衝撃を受け、2009年に渡独。ドレスデン工科大学美術史科在籍。