たっぷり絵の具を付けてグジュグジュになった筆が、何度も画用紙に叩きつけられます。幾層にも重なった色の重みに耐えらなくなった紙が破れ落ち、その破片が新たな画用紙に貼り直され、また色が付けられる。それは誰かに見せるためというより、何かを吐き出すための行為。今回はそんなアートプロジェクトを紹介します。
ブラウンシュバイクの隣街であるヴォルフェンビュッテルで、僕はウクライナから逃れてきた子どもたちと絵を描く活動を1年半ほど続けています。トラウマを抱えた難民を支援する組織(Netzwerk fürtraumatisierte Flüchtlinge in Niedersachsen e.V.)によって運営されており、現場の活動は同僚と2人で行っています。僕たちは技法を教えるわけではありません。毎週火曜日の夕方に集まり、絵を描けるように準備をしたら、子どもたちの隣で一緒に描き、遊び、後片付けをします。
思いが込もった黒
この1年、僕たちと一緒に活動した子どもは7人。年齢は7~11歳。僕たちはロシア語とウクライナ語を話せませんが、通訳はいません。トラウマを抱えている子どもたちとは、距離感の取り方や体の接触にも気を払う必要もあり、お互いに慣れるまで時間がかかります。意思疎通ができず、子どもたちが絵を描くのに飽きて早々に別の部屋に遊びに行ってしまったり、けんかが始まっても原因が分からずに戸惑ってしまったりすることもありました。しかし、定期的に同じ場所で会って、少しずつ時間を共にするうちに、ある日、子どもたちが僕のことを名前で呼んでくれるように。それからは一緒に遊んだり、絵を描いたりできるようになりました。
子どもたちが使っていたクレヨン
彼らのドイツ語は、週を重ねるごとに驚くべき速度で上達しました。言語表現が豊かな子どもは、絵を描きながらさまざまなことを話してくれます。カラフルに描かれた絵を真っ黒に塗りつぶしていきながら、残してきたペットや家のこと、父親を思う気持ちが語られることもありました。とある日には、みんなでドイツ、日本、ウクライナの地図を描きました。自分が住んでいた街、自然、建物について話しながら、森の木を一本一本静かに描く子どもの姿が印象に残っています。長い時間、地図から離れようとしない子もいました。
みんなで描いたウクライナの地図
先日、1年間の活動の締めくくりとしてパーティーを開き、活動に参加していた子どもたちの家族や兄弟も招待しました。母親たちと話をしながら、子どもにとって安心して自分を表現できる場所があることの大切さを感じました。この1年間共に過ごした子どもたちとは、これでいったんお別れ。夏休みが明けたら、また新しい子どもたちを受け入れる予定です。彼らと過ごす火曜日の夕方は、僕にとってもさまざまなことを感じさせてくれる大切な時間となっています。
神戸のコミュニティメディアで働いた後、2012年ドイツへ移住。現在ブラウンシュバイクで、ドキュメンタリーを中心に映像制作。作品に「ヒバクシャとボクの旅」「なぜ僕がドイツ語を学ぶのか」など。三児の父。
takashikunimoto.net