ジャパンダイジェスト

川辺で流れるアコーディオンと被爆者から受け継がれる語り

日の長いドイツの夏の19時、ブラウンシュヴァイク市のオカー河畔でアコーディオンの演奏が始まりました。重々しい音色の背後で、たくさんの赤いろうそくが水面を静かに流れていきます。灯りを乗せた木製の構造物を、緩やかな川の流れに逆らうように引くのはヘルムートさんのカヤック。長崎に原爆が落とされた8月9日から79年が経った日、「ノーモア!ヒロシマ ナガサキ フクシマ」というイベントがブラウンシュバイク市の平和団体によって開催されました。

米澤さんの遺志を受け継ぐ山本さん米澤さんの遺志を受け継ぐ山本さん

ゆっくりと太陽が沈むなか、日本から招待されたゲストが紹介されます。首に原爆被害の惨状を伝える写真を掛け、原爆体験の「証言」をしたのはNPO法人「日独平和フォーラム」大阪世話人の山本健治さん。しかし、この原爆体験は山本さん自身のものではありません。山本さんの長年の知人であり、広島中心部を走っていた路面電車の中で被爆した故・米澤鐡志さんの体験です。米澤さんは、核廃絶を長年訴え、2022年には広島市とハノーファー市の姉妹都市40年の式典に招待されていましたが、渡独が実現する前に亡くなりました。米澤さんの体験を聞き取り、ドイツ語などの証言冊子を編集していた山本さんは、米澤さんの遺志を受け継いでこの夏ドイツへ。ハノーファー市の広島に思いをはせる一連の行事にも参加しました。

ノーモア! ヒロシマ ナガサキ フクシマノーモア! ヒロシマ ナガサキ フクシマ

米澤さんが被爆したのは小学校5年生の時でした。一緒に路面電車の中で被爆したお母さんは、9月1日に「もう殺して」と高熱に苦しみながら息を引き取り、母乳を飲んでいた当時1歳の妹も命を落とします。生死の境をさまよった米澤さんが実際に見た地獄の光景、髪の毛が抜けたことで「ハゲハゲ」と友だちに受けた差別、核廃絶への積年の思い。それらが山本さんの口から語られ、水辺に集まった100名ほどの人々が聞き入っています。会場で米澤さんの証言本が参加者たちの手に取られていく姿を見て、人から受け継いだ話を伝えることにも意味があることを実感しました。

:広島で原爆体験を語る森田隆さん(2009年)広島で原爆体験を語る森田隆さん(2009年)

間接的に伝承する山本さんの姿を見て、僕自身も過去に交流のあった、核のない世界を望みながら亡くなっていった原爆体験者に思いをはせました。その一人が、被爆後にブラジルに渡り、在外被爆者の人権のために尽力した森田隆さんです。彼は、被爆者の苦悩や海外移民の苦労を訴え、ブラジルへ渡った被爆者が日本国内の被爆者と同等の支援を受けられるように闘いました。その後も精力的に反核活動を続けた功労が認められ、ブラジルには森田さんの名前を冠した学校があります。今年の8月にこの世を去った森田さん。寂しさを抱えるとともに、次世代のために語りのバトンを受け継いでいく責務が僕にもあることを改めて感じました。

国本 隆史(くにもと・たかし)
神戸のコミュニティメディアで働いた後、2012年ドイツへ移住。現在ブラウンシュバイクで、ドキュメンタリーを中心に映像制作。作品に「ヒバクシャとボクの旅」「なぜ僕がドイツ語を学ぶのか」など。三児の父。
takashikunimoto.net
 
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