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ハノーファーと広島の姉妹都市提携30周年

今年、ハノーファーと広島は姉妹都市提携30周年を迎えました。両市の姉妹都市提携は、1968年に始まった青少年交流から発展したもの。5月13日に開かれた記念式典には、広島から松井市長や種清市議会議長、市民らが参加しました。

45年前、被ばく者の林壽彦さんが初めてハノーファーを訪れた際、ドイツ人から「日本からですか」と声を掛けられて握手を求められたものの、「広島から来ました」と答えると、そのドイツ人は手を引っ込めたそうです。放射能が感染すると思われたのです。林さんが当時のハノーファー市長にこのことを話したところ、市長は「申し訳ない。市民に代わって謝ります。これはお互いのことをよく知らないからだ」と言い、青少年交流が始まったのです。ドイツでは当時、広島はいまだ焼け野原だと信じていた人も多く、子どもたちを広島に送るよう親を説得するのは大変だったそうです。「本当に小さなことから始め、それが育っていった」と、ハノーファーのシュトラオホ現市長は言います。

30周年記念イベントとして、4月29日にはハノーファー広島友好会の神野憲治副会長による「日本の祭り」についての講演会、5月3日には青少年交流45周年をテーマにした「ヒロシマ・サロン」が開かれました。これは、 ドイツ在住の女優、原サチコさんが主宰しているイベント。ここで日本からのビデオメッセージや交流史を記録した写真が披露されました。30年前に子どもを受け入れたというドイツ人の家庭では、今なお手紙のやり取りが続いているそうで、その時のホームステイ参加者の感想文が読み上げられ、各個人の熱意により交流が続いてきた様子が伝わってきました。

ヒロシマ・サロン
ヒロシマ・サロンの様子

サロンではこのほか、お寿司が振舞われ、若者たちのコスプレショーが開かれるなど、終始和やかな雰囲気の中で進行しました。

ハノーファーには、第2次世界大戦中の爆撃で屋根が抜け落ちたままのエギディエン教会(Aegidienkirche)があります。ここには日本から寄贈された平和の鐘が吊るされ、毎年8月6日には原爆犠牲者の追悼式典が開かれています。林さんは2010年に亡くなられましたが、「1968年から40年以上、ハノーファーの皆さんに、平和のために何が一緒にできるのかを問い続けてきた。皆さんが私くらいの年になったとき、世界はすごく変わっているだろう。でも、平和であるということだけは変わらないでいてほしい」とビデオメッセージを残しました。草の根の市民交流が、平和に大きく貢献しているのは間違いありません。

ハノーファーと広島の両市長
エギディエン教会で犠牲者追悼の花輪を捧げるハノーファーと広島の両市長

田口理穂(たぐち・りほ)
日本で新聞記者を経て1996年よりハノーファー在住。社会学修士。ジャーナリスト、ドイツ語通訳。著書に『市民がつくった電力会社: ドイツ・シェーナウの草の根エネルギー革命』(大月書店)、共著に「お手本の国」のウソ(新潮新書) など。
 
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