クリスティアン・ヴルフ氏が連邦大統領を辞任した。3カ月近くにわたってベルヴュー宮殿にしがみついていたが、検察庁が免責特権の解除を申請し本格的な捜査を開始したことで、ようやく辞めた。
昨年暮れにヴルフ氏に対する個人融資疑惑が明るみに出て以来、「この人には連邦大統領を務める資格はない」と私は思ってきた。ドイツの大統領には、政治的な権力は皆無だ。主な仕事は法律に署名したり、ドイツの代表として外国を訪問して友好関係を深めたり、演説によって市民に一種の「訓示」を垂れたりすることだ。実権を持たないだけに、国民にとって模範となる人物であることが、通常の政治家よりも強く求められる。
1985年に連邦議会で、当時リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領は、「荒れ野の50年」と題した演説を行い、ドイツがナチス時代の犯罪を今後 も心に刻み込み、被害を与えた国に謝罪していくという決意を全世界に対して示した。この演説は多くの人々に感動を与えた。日本でも小冊子として刊行されたほどである。大統領にはこのような役割が求められているのだが、ヴァイツゼッカー氏以降は、このように歴史に残る演説を行なった大統領は1人もいない。大統領の職にふさわしい人物が減っているのだ。
ホルスト・ケーラー氏は、ドイツ連邦軍のアフガニスタン駐留に関する発言をマスコミから批判されたところ、突然大統領の職を投げ出してしまった。ヴルフ氏の辞任で、2人の大統領が続いて任期途中で辞めたことになる。しかもヴルフ氏の場合は、州政府の首相だった時に休暇中のホテル代を知り合いのビジネスマンに払ってもらったとか、休暇の際に利用した飛行機の座席がエコノミーからビジネスクラスに格上げされたなど、およそドイツの代表にふさわしくない、「けちくさい」疑惑につきまとわれた。政治家としての脇が甘かったのである。
そのような人物について十分に調査せずに、大統領に推したメルケル首相の責任が問われるのは、当然のことである。メルケル氏がドイツの政界で十分なネットワークを持っておらず、「あの人はやめなさい」と耳打ちしてくれる優秀なアドバイザーを持っていないことを示している。
与野党は、今から約20年前に市民運動家として活躍した旧東独の神学者、ヨアヒム・ガウク氏を次期大統領に推すと発表。東ドイツで牧師だったガウク氏は、1989年のベルリンの壁崩壊前から、民主化を求めてホーネッカー政権に立ち向かった。統一後は、国家保安省(シュタージ)が盗聴や密告によって集めた膨大な個人資料を管理し、被害者に公開する文書局の初代局長を務めた。
ガウク氏は、前回の大統領選挙で野党である社会民主党(SPD)と緑の党が推した候補。このためメルケル首相はガウク氏の推薦に反対した。ところが連立政権のパートナーである自由民主党(FDP)がガウク氏を推したため、メルケル氏は押し切られた形になった。首相にとっては、手痛い敗北である。
元々ジャーナリスト志望だったガウク氏は、実業界とのしがらみが多かったヴルフ氏よりも、大統領に適した人物という印象を与える。しかし速断は禁物。ガウク氏には往年の市民活動家の面影はない。むしろ米国の「Occupy Wall Street」のような、金融機関に異議を申し立てる市民運動を批判するなど、極めて保守色の濃い人物である。彼が本当にドイツの象徴にふさわしい人物かどうかは、大統領としての仕事ぶりを見るまではわからない。
2 März 2012 Nr. 908