5月中旬から3週間にわたって日本に滞在した。この間、アジア諸国は歴史認識をめぐる議論で揺れた。
橋下発言の波紋
ベルリンにある「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための
記念碑」と、ドイツ連邦議会(背景)
そのきっかけは、5月13日に日本維新の会の橋下徹・共同代表が「第2次世界大戦中には、日本だけでなく他国も慰安婦制度を活用していた。(銃弾が飛び交う戦場で精神的に高ぶっている兵士たちを休息させてあげようと思ったら)慰安婦制度が必要なのは誰にだってわかる」と述べたことだ。
橋下氏が「慰安婦制度は必要だった」と公言したことについて、韓国、中国だけでなく日本、米国、国連で抗議の声が上がった。
橋下氏はこの会見の中で「日本がアジアへの侵略によって周辺諸国に多大な苦痛と損害を与えたことは事実であり、反省とお詫びをしなくてはならない」と述べているほか、「今日も慰安婦制度が必要だとは言っていない」と強調する。しかし、彼の本音は「他国も似たような制度を持っていたのだから、日本だけがレイプ国家だと批判されるのは不当だ」というものだ。
彼は、同じ会見の中で、日本が慰安婦を強制的に拉致したことについても疑問視している。日本の右派勢力の中には、「慰安婦は売春行為を強制されたのではなく、自発的に行った」と主張する者がいる。
橋下氏の発言は、日本の対外的なイメージを深く傷付けた。アジアのメディアはもちろん、欧州の新聞も橋下発言を大きく取り上げている。ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙は、「日本の政治家たちは、何年も前から挑発的な発言を繰り返してきた。過去から目をそらさせ、自国の軍隊が行った犯罪行為を矮小化するためである」と辛辣だ。
橋下氏は、問題の会見の中で「沖縄で米軍兵士による婦女暴行事件を減らすためには、合法的な風俗業を活用してはどうか」と、米軍の司令官に進言したことも明らかにした。この発言は女性への侮辱であり、沖縄だけでなく日本の多くの女性によって強く批判された。
「みんなの党」は、一連の発言をきっかけに参議院選挙における日本維新の会との協力関係を打ち切ることを明らかにしている。
歴史認識をめぐる議論は慎重に
だが日本の政治家の歴史認識に関するレベルを示す発言は、これにとどまらない。5月12日に自民党の高市早苗政調会長は、日本が行った侵略と植民地支配について謝罪した1995年の「村山談話」の中の「国策を誤り」という部分はおかしいと指摘した。
さらに安倍首相も今年4月末に村山談話に関連し、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」と発言。安倍氏は日本軍の侵略を否定しているわけではない。しかしこの発言は、首相が日本軍による侵略を相対化しようとしているかのような印象を与える。
歴史認識をめぐる議論は複雑である上に、対外的なインパクトも大きい。歴史的事実に関する深い知識が必要である。したがって歴史認識については、政治家がテレビカメラの前でぺらぺらと語るべきテーマではない。彼らの言葉に「重み」を感じられないのは、私だけだろうか。日本の政治家たちには、慎重さを求めたい。
この原稿を書いている時点で橋下氏は大阪市長の座も、日本維新の会の共同代表の座も辞職していない。もしもドイツで政治家がこのような発言を行なったら、辞職は免れない。ドイツでは多くの政治家が、歴史認識をめぐる失言によって政界から姿を消した。
過去との対決はドイツの国是
ドイツ語には「Erinnerungskultur(過去を心に刻む文化)」という言葉がある。これは、ナチスの犯罪を心に刻み、ドイツ人がユダヤ人や他民族に被害を与えた過去を思い出す生活態度を意味する。心に刻む文化は、ドイツ政府はもとより、(旧東ドイツの極右などを除く)社会の主流である市民の間に根付いている。
ドイツが今日の欧州連合(EU)の中で主導的な立場にあり、周辺諸国から信頼されている背景には、ドイツ人が続けてきた「自己批判」と「謝罪」の努力がある。ドイツの首相や大統領は、イスラエルに行くたびに必ず慰霊施設を訪れ、謝罪の言葉を述べる。もしもドイツ人が戦後ナチスの過去と対決することを怠ってきたら、この国がEUの中で信頼されることはなかったに違いない。以前、首相が行った「謝罪」に関する談話について、保守派から「撤回するべきだ」という意見が出されることは、ドイツでは考えられない。
私は歴史認識に関しては、ドイツの保守派は日本の保守派よりもリベラルだと考えている。この国で政治家になるには、ナチスの過去と批判的に対決するという姿勢が、必要不可欠な前提条件なのだ。
歴史リスクへの配慮を
アジアでは経済的な交流が深化しつつあるが、政治的な関係はギクシャクする一方だ。私は、ある国が過去に犯した罪と批判的に対決することを怠ると、「歴史リスク」が生じると考えている。ドイツはこの歴史リスクの重大さを理解しているので、今なお過去との対決を続けているのだ。
日本の政治家たちも、「歴史リスク」の重要さをかみしめるべき時が来ているのではないだろうか。
21 Juni 2013 Nr.956