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So. 19. Aug. 2018

多民族社会の「英雄」、エジル選手の栄光と悲劇

トルコ系ドイツ人メスト・エジル選手(29歳)がドイツ・ナショナルチームを7月22日に脱退し、「ドイツサッカー連盟(DFB)とメディアは、私がトルコ人の血を引いているために差別した」と強い口調で非難。2015年の難民危機以来、外国人の社会への統合や人種差別に関する議論が激しく行われている中、彼が取った態度はドイツ社会で賛否両論を巻き起こした。

「独裁者」とのツーショット

引き金となったのは、2018年5月13日にエジル選手がトルコのエルドアン大統領にユニフォームを贈呈し、ツーショットで撮影された写真である。エジル選手は「この写真撮影は政治とは無関係だ」と説明しているが、エルドアン氏が6月の大統領選挙で得票率を引き上げるために、知名度の高いエジル選手を利用したことは明白である。

エルドアン政権は2016年に同国で起きたクーデター未遂事件以来、反体制派など数万人を逮捕。その中にはジャーナリストなど知識人も含まれている。法治主義を軽んじ、言論の自由を抑圧するエルドアン政権の姿勢は、「独裁者」にたとえられている。このためドイツではエジル選手に対して「政治的にあまりにも鈍感」という強い批判の声が上がった。特にDFBのラインハルト・グリンデル会長は「エルドアン大統領は、我々が重視する価値観を軽視している。したがってナショナルチームの選手がエルドアン大統領の選挙戦のために悪用されることは良くない。DFBは外国人の血を引く選手たちの社会への統合を促進するために努力してきたが、エジル選手らの行為はそうした努力を損なうものだ」と強い言葉でエジル氏を批判した。

人種差別的発言の嵐

彼はドイツのゲルゼンキルヒェンでトルコ人の両親から生まれ、2007年にドイツの国籍を取った「元外国人」である。ソーシャルメディア上でのエジル選手に対する批判に、人種差別的な性格も混ざっていたことは否定できない。

こうしたトラブルを抱えたまま今年6月の第21回ワールドカップに出場したドイツチームは、緒戦であえなく敗退。多くのドイツ市民を失望させた。エジル氏は「W杯での対スウェーデン戦の後、ドイツ人のファンから『トルコ人の豚野郎、早く消え失せろ』と罵倒された。あるドイツの政治家は、私を『山羊を獣姦する男』と呼んだ。ミュンヘンのある劇場支配人は私に『アナトリア(トルコ東部)へ帰るが良い』と発言した。私と家族は、ドイツ人からの多数のヘイトメールや脅迫電話に悩まされた。エルドアン大統領の写真を口実に、それまで隠していた人種主義者としての感情を爆発させているのだ。これはドイツ社会にとって危険なことだ」と語っている。

彼は7月22日にツイッターに公開した書簡の中で「私がトルコ人の血を引いているという事実をおとしめる人々の態度は、絶対に受け入れられない。私はもはやドイツチームのユニフォームを着てサッカーの試合に出場することはない」と述べ、ナショナルチームとの絶縁を全世界に向けて宣言。彼は特にDFBのグリンデル会長に対し「あなたは、ドイツチームが勝つと私をドイツ人と見なし、負けると私をトルコ人と見なした」と痛烈な批判を浴びせている。DFBは「人種差別主義的な態度を取ったというエジル選手の批判は適切ではない」と弁解している。

サッカーによる社会への統合の象徴だった

エジル選手の脱退は、ドイツ連邦政府やDFBにとっても大きな打撃だ。政府とスポーツ界は「サッカーによって外国系市民を社会に溶け込ませる」というキャンペーンを行ってきた。確かに人種や宗教、文化的背景が異なってもチームが団結してゴールを目指すサッカーは、移民やその子どもたちを社会に溶け込ませる上で役立つ可能性がある。ドイツの2万5000のサッカークラブでは、難民としてドイツにやって来た4万人がプレーしている。これらのサッカークラブに参加する外国人やドイツに帰化した元外国人の数は、約14万人に上る。

ツイッターのフォロワーが2300万人を超え、年収が2100万ユーロ(27億3000万円・1ユーロ=130円換算)のエジル選手は、政府が標榜する「サッカーによる社会への統合」のシンボルだった。2014年にブラジルで行われたW杯でドイツが優勝した時に、メルケル首相がエジル選手を抱擁して喜びを表現する写真が残っている。

エジル選手とメルケル首相
2014年サッカーW杯で優勝したドイツチームで活躍したエジル選手(右)と
喜びを分かち合うメルケル首相(右奥)

政治の危険性を軽視してはならない

エジル選手を口汚い言葉で罵倒したドイツ人の態度は許しがたい。この国にトルコ人差別が残っていることも事実だ。しかし「スポーツと政治は関係ない」という彼の弁解にも首をひねらざるを得ない。少なくとも2016年のクーデター未遂事件以降、エルドアン大統領が人権や言論の自由を抑圧していることは、誰の目にも明らかだった。ナショナルチームのスター・プレーヤーはもはや私人ではなく公人であり、細心の注意が必要である。彼を政治目的に利用しようとする政治家は数多くいるのだからだ。

危険なポピュリスト政治家が世界を跋ばっこ扈する今日、スポーツ選手といえども政治から完全に無縁でいることはできない。その危険を軽視したことは、エジル選手にとって一生の不覚だった。彼を襲った悲劇は、我々にとっても対岸の火事ではない。

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツ・ミュンヘン市に在住。過去との対決、統一後のドイツの変化、欧州の政治・経済統合、安全保障問題を中心に取材、執筆を続けている。著書に「ドイツの憂鬱」、「新生ドイツの挑戦」(丸善ライブラリー)、「ドイツ病に学べ」、「住まなきゃわからないドイツ」、「びっくり先進国ドイツ」(新潮社)など。
http://www.tkumagai.de
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