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ベルリンの壁崩壊30周年記念特集【後編】 2つのドイツが迎えた
あの日とそれからの30年

ベルリンの壁崩壊からちょうど30年を迎える、2019年11月9日。前号に引き続き、今回もベルリンの壁をテーマに特集をお届けする。後編の幕開けは、社会主義体制が崩れ始めた東ドイツ。壁崩壊までのダイナミックな歴史の流れを感じながら、その後の30年について振り返る。再び1つになったドイツが歩んできた道のりは、決して平たんではなかった。私たちは過去を知ることで、現代ドイツの課題をさらに理解することができるかもしれない。(Text:編集部)

消えた東ドイツの足跡をたどってDDRと出会える5つの場所

ベルリンの壁崩壊の翌年、1990年の東西ドイツ統一は、結果的には「西ドイツによる東ドイツの吸収合併」という形で行われた。それに伴い、社会主義を象徴するような建物は次々取り壊され、東ドイツ(ドイツ民主共和国 Deutsche Demokratische Republik、通称「DDR」)の面影も急速に失われていく。ここでは、もう消えてしまったDDR時代を知ることができるスポットをご紹介。ベルリンの街を歩きながら、東ドイツのもつ暗い歴史だけでなく、ごく当たり前に営まれていた市民生活の風景を覗いてみよう。

東ドイツ時代の生活文化に触れる DDR博物館

DDR博物館
DDR博物館

旧東ドイツの日常生活をテーマにした博物館。「歴史を触る」というコンセプトをもとに、一般的な東ドイツ市民の生活空間をまるまる再現したコーナーをはじめ、当時の学校の様子やバカンスの過ごし方、秘密警察の盗聴システムなどが、実物を使って展示されている。さらに旧東ドイツの国産車トラバントのドライブシュミレーションも体験でき、旧東ドイツ時代へのタイムトリップが味わえる。

DDR Museum
日曜~金曜 10:00~20:00 土曜 10:00~22:00
Karl-Liebknecht-Str.1, 10178 Berlin
www.ddr-museum.de

2007年オープンの「泊まれるDDR」 オステル

泊まれるDDR
泊まれるDDR
泊まれるDDR
泊まれるDDR

東ベルリンのフリードリヒスハインに位置する、本格的な東ドイツのデザインを再現したホステル。建物の外観もさることながら、1970年代の壁紙が貼られた室内には、レトロな家具、旧式のラジオ、カール・マルクスの肖像画などが並んでおり、レトロ好きにはたまらない。ホテルから徒歩2分のところには、東ドイツ時代の典型的な料理を味わうことができるレストラン「Volkskammer」も。

OSTEL - Das DDR Hostel
Wriezener Karree 5, 10243 Berlin
www.ostel.eu

監視社会としての東ドイツを知る シュタージ博物館

シュタージ博物館
シュタージ博物館

旧東ドイツの国家保安省として、諜報機関の役割を担っていた「シュタージ(Stasi)」。その本部であった建物が、現在は博物館として開放されている。当時の盗聴器や隠しカメラ、密告者の記録などが展示されており、シュタージがどのように東ドイツ市民を監視し、国内外で諜報活動を行っていたのかが分かる。また、当時の情報開示が行われているため、博物館に請求すれば自分の情報がシュタージに集められていたかどうかを知ることができる。

Stasimuseum
月曜~金曜 10:00~18:00 / 土曜・日曜・祝日 11:00~18:00
Ruschestraße 103, Haus 1, 10365 Berlin
www.stasimuseum.de

涙の別れを記憶する場所 涙の宮殿

涙の宮殿

フリードリヒ通り駅の北側にあるガラス張りの青い建物「Tränenpalast」は、東西ドイツ分断時は出国検問所の役割を果たした。西側から訪問してきた親せきや友人を駅に見送りに来た東ベルリン市民が、この建物で泣きながら彼らを見送ったことから、「涙の宮殿」という俗称で呼ばれている。現在は歴史記念館として、当時の検問施設などの再現や東西のニュース映像などが展示されている。

Tränenpalast
火曜~金曜 9:00~19:00 / 土曜・日曜 10:00~18:00
Reichstagufer 17, 10117 Berlin
www.hdg.de

生々しく残る壁と分断の歴史 ベルリンの壁記念センター

ベルリンの壁記念センター
ベルリンの壁記念センター
ベルリンの壁記念センター

ベルリンの壁の実物を眺めるなら、シュプレー川沿いのイースト・サイド・ギャラリーが定番だが、そこから北西6キロの所に約200メートルにわたって当時の壁や監視塔が残されている、ベルナウアー通りもおすすめ。壁の建設時、国境線に隣接するこの通りのアパートの窓から西側へ飛び降りて逃げた人も多くいた。この通りにある「ベルリンの壁記録センター」では、東西分断に苦しんだ人々の様子をとらえた写真や映像が展示されている。

Gedenkstätte Berliner Mauer
火曜~日曜 10:00~18:00
Bernauerstr.111, 13355 Berlin
www.berliner-mauer-gedenkstaette.de

レトロでキッチュな味わいDDR製品のデザイン

DDR製品の特徴といえば、シンプルなデザイン、チープでキッチュなつくり、そしてユーモアあふれるセンス。素材としては、プラスチックやブリキを使った製品が多い。社会主義体制のため、鋼鉄やコットン、ガラスなどが輸入できなかったことも、製品のデザインに大きく影響を与えている。現代の蚤の市などで当時の製品を見つけて喜ぶ私たちに、東ドイツ出身者はこう言うかもしれない。「一つひとつのデザインは確かにいい。でももし、生活の中にこれらの選択肢しか44なかったら?」

写真提供: DDR Museum

DDRのシンボル的存在 トラバント メーカー:VEB Sachsenring

VEB Sachsenring
VEB Sachsenring

「トラビ(Trabi)」の愛称で親しまれていた小型乗用車で、製造されていた1958年から1991年の間で、外見もエンジン性能もほとんど改良されることがなかった。ボディはプラスチック製、故障が多く、車を注文してから納品までに10年以上かかるなど、数々の逸話も。壁崩壊後、最新式のフォルクスワーゲンに混ざってトラビが走る姿に、東西ドイツ市民は互いに衝撃を受けたという。

飲めば当時を思い出す? クルプ・コーラ メーカー:Spreequell Mineralbrunnen GmbH

クルプ・コーラ

東ドイツでは米国のコカ・コーラが入手できなかったため、政府の要請により独自の開発が進められていた。1967年にはクルプ・コーラが開発され、ベルリンの国営飲料工場で生産。西側と味は異なっていたが、ウォッカやラムなどの蒸留酒が合わさった味わいは若者の間で人気だった。統一後は製造中止されていたが、1992年から再開した。

東ドイツの定番おやつ ハローレン・クーゲルン メーカー:Halloren Schokoladenfabrik AG

ハローレン・クーゲルン

ハレにあるドイツ最古のチョコレートメーカーで、もとは1804年にケーキ店として創業。1950年に工場が政府に収用され、1952年に「ハローレン(Halloren)」という名前の国営企業に。なかでも「ハローレン・クーゲルン(Halloren Kugeln)」は大人気のお菓子になった。再統一後に民営化され、現在も製造を続けている。

DDR デザインを代表するエッグスタンド Sonja Plastic製「Hühnchen」 メーカー:VEB Sonja Plastic

Hühnchen

1925年にエルツ山地のヴォルケンシュタインで設立された、プラスチックの加工会社WillibaldBöhm GmbH。1960~70年代には東ドイツの国営工場として稼働し、「ゾンヤ・プラスチック(Sonj a Plastic)」というブランド名で家庭用品やキッチン用品などを製造していた。なかでも有名なのが、ニワトリ型のエッグスタンド「Hühnchen」。その高い人気により、現在では復刻版も製造されているが、DDR時代オリジナルのものは淡い色合いが特徴だ。本来はゆで卵を乗せて食卓に出すためのものだが、小物入れなどとしてもおすすめ。

西の子どもも東のおもちゃで遊んでいた Sonni製のぬいぐるみ メーカー:VEB Sonni

Sonni製のぬいぐるみ

テューリンゲン州ゾンネベルクにあった国営企業「Sonni」は、東ドイツ最大の玩具工場として、ピーク時には1日に6000体以上のペースでおもちゃをつくっていた。そのため、ほとんどの東ドイツ出身者は、子どものころに一度はSonniの人形やぬいぐるみを抱いたことがあるとか。生産されるおもちゃのうち約70%は輸出用で、半分はソ連へ、もう半分は西側諸国に届けられていた。しかし西側諸国では、おもちゃに付けられるラベルが貼り替えられていたため、東ドイツ製のおもちゃだとは知られていなかった。

東ドイツ時代にもアーティスティックな製品 シュトレーラ製のヴィンテージ陶磁器 メーカー:Strehla

シュトレーラ製のヴィンテージ陶磁器

1950~70年代に西ドイツで生産されていた陶磁器は、コレクターからも絶大な人気を誇っている。実は東ドイツでも同様のヴィンテージ陶磁器が製造され、海外向けに輸出も行われていた。その代表的なメーカーが、1828年に設立された、ザクセン州の小さな町発祥のシュトレーラ(Strehla)。当時のDDR製品は保守的なデザインが多かった一方で、シュトレーラでは装飾性が高く、アーティスティックな商品も多く見られる。

DDRを紐解くキーワード

[オスタルギー] = オスト(東)+ ノスタルジー

「オスタルギー」とは、東ドイツ時代を懐かしむ情緒的・郷愁的な思いを表す造語。東西ドイツ統一後、社会主義体制下のシュタージ(秘密警察)の存在などが明るみに出たことで、国際社会では東ドイツが否定的に捉えられる傾向に。初めは統一を喜んだ東ドイツ市民だったが、自分たちの時代や社会が否定されたという失望感と、埋まらぬ東西格差から、「東ドイツ時代も、悪いことばかりではなかった」という思いが次第に強まっていく。このオスタルギーの感情は、ベルリンの壁崩壊から30年が経った今でも、政治や経済、社会状況など、さまざまな面で表れ出ている。

[人民公社] VEB(Volkseigener Betrieb)

第二次世界大戦後、民間企業はソビエト連邦(ソ連)の占領下で次々と収用された。東ドイツの独立後に、それらの企業は「国営」という形態で返還される。東ドイツ時代の製品はほぼすべて国営企業によって生産されていたため、製品には東ドイツの国営企業を表す「人民公社(Volkseigener Betrieb)」のマーク「VEB」が刻印されている。しかし東西ドイツ統一後、実際のレートとはかけ離れた東西マルクが1対1で等価交換されたことにより、旧東ドイツの製造業は軒並み競争力を失う。倒産が相次いで失業率も増加した。現在では、旧東ドイツの企業は数えるほどしか残っていない。

 
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