22. ヴェルディのオペラ「椿姫」のこと ①
夕暮れのノートルダム(パリ)
もし私が歌手だったらどんな役になりたいかなぁと、たわいもないことを考えることがあります。私は悪役が好きなので「ドン・ジョヴァンニ」とか、「トスカ」のスカルピア、「ホフマン物語」のミラクル博士なんかもやってみたいなぁと思うのですが、実は……、「『椿姫』のヴィオレッタ役で出られたらいいだろうな」なんてことを思うことがあります。こう書くと、女装趣味でもあるのかと思われるかも知れませんが、それは断じて違いまして、ごくごく普通の男子です。
というのも昔々、トスカニーニが指揮をした「椿姫」のリハーサル盤を聴いたことがありました。そこではどうもヴィオレッタ役が休んでいて、代わりにトスカニーニご自身がそのパートを歌っていました。しわがれ声で鼻歌程度、周りの歌手と合わせているだけなのですが、これが実に味わい深く、そのうち「アレッ……ヴィオレッタって男だったっけ!」と錯覚をしてしまうほど、ものすごくうまい歌唱でした。
さて、この「椿姫」という和訳ですが、なかなか上手な訳だと思います。原題は「La Traviata」で、“道を踏み外す”とか“悪の道へ導く”とかの意味で、不吉なタイトルです。日本に紹介された当初は「淪落(りんらく)の恋」なんて古風な呼び方をされていた時代もありました。
そのうち、アレクサンドル・デュマ・フィスが原作小説に付けていたタイトル「La Dame aux camellias」(椿の花の貴婦人)からヒントを得て、今日のタイトルになりました。デュマは、「三銃士」を書いた父親と同姓同名の息子で、「椿姫」は実在の人物をモデルにしています。
当時、その美貌と気品の高さで有名な娼婦だったマルグリット・ゴーチェ(オペラでのヴィオレッタ)が亡くなりました。その所有品を競売するポスターを見かけたデュマは、そこで「マノン・レスコー」の本を購入したそうです。
しばらくして、ある男が訪ねてきてその本を譲ってほしいとデュマに頼みました。事情を聞いてみると、彼がその本を贈った張本人のアルマン(オペラではアルフレード)で、思い出の品だからぜひとも譲り受けたいと懇願したのでした。そして、「もう一度彼女に会いたい!」と強く願い、デュマが引き止めるのも聞かないので、仕方なくアルマンに付き添いお墓を掘り返す所から物語は始まります。(続く)