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旅ールのすすめ - ビールに会いに旅に出よう

山片 重嘉コウゴ アヤコ 1978年東京生まれ。杏林大学保健学部卒業。ビール好きが高じて2008年から1年半、ミュンヘンで暮らす。旅とビールを組み合わせた“旅ール(タビール)をライフワークに世界各国の醸造所や酒場を旅する。ビアジャーナリストとして『ビール王国』(ワイン王国)、『ビールの図鑑』(マイナビ)、『Coralway』(日本トランスオーシャン機内誌)など、さまざまなメディアで執筆。 www.jbja.jp/archives/author/kogo

ワインの街、ヴュルツブルクのご法度ビール

「ビール醸造を禁止する」。昔、ヴュルツブルクにそんな法律があったことをご存じだろうか。街はバイエルン州の北部、マイン川のほとりにある美しい古都。司教の街として栄えた歴史があり、見ごたえのある建築物が数多く存在する。ロマンティック街道の北の起点として観光客にも人気だ。街を見下ろす高台にそびえる堅固なマリエンベルク要塞。欄干に12体の聖人像が並ぶアルテ・マイン橋。歴代大司教の居城であったレジデンスは、ドイツ・バロックの至宝とも呼ばれユネスコの世界遺産にも登録されている。

川の斜面いっぱいに広がるブドウ畑からは良質なワインが造られ、フランケンワインの名産地として知られている。平たく丸みを帯びたボトル、ボックスボイテルはご存じの方も多いことだろう。しかしワインの名産地であるが故にビール醸造が発展せず、粗悪なものが出回っていた時代があったのだ。そのため1434年にビール醸造禁止令が発布され、200年以上もの間ビールを造ることができなかった。禁止令が撤廃されたのは1643年のこと。三十年戦争の際に兵士に供給するビールを造るため、当時の司教領主によって武器庫内に醸造所が建てられた。それが現在に続く「ヴュルツブルガー醸造所(Würzburger Hofbräu)」だ。現在は海外にも輸出されるほど良質なビールを造っている。

ビールの名前にもなっているユリウス・エヒター(Julius Echter)は16世紀後半に街を治めていた司教領主だ。ヴュルツブルク大学などの研究・養育機関、孤児院や病院などの慈善施設を設立した。病院内に設立されたワイナリー「ユリウスシュピタール(Weingut Juliusspital)」は、今でもワインファンの間で名高い。

ビールのユリウスは、ヴァイツェン特有のバナナ香がふんわりと鼻腔をくすぐる。パンケーキを連想させる小麦の香ばしさも持ち合わせ、蜜のような甘味が口いっぱいに広がり長く余韻が楽しめる。

 

vol. 8
Julius Echter Hefeweißbier

www.wuerzburger-hofbraeu.de

Julius Echter Hefeweißbier

 

 
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