旧博物館の前に置かれた「迷子石」(Information参照)
自分の足で歩いてみればすぐにわかることだが、ベルリンは極めて平坦な地形の街である。山らしい山はほとんどない。地図を見ると、プレンツラウアー・ベルク、クロイツベルク、シェーネベルクなど、語尾に「ベルク」(山)が付く地名は、そのような平坦な部分の北側か南側かのどちらかに位置することに気付く。だが、それが何を意味するのかを問う人はどれだけいるだろう。コンクリートの地面の上を歩き、ビルに囲まれた生活を送っている都会人に、それがどういう地盤の上に成り立っているのかなど、問いを向けさせること自体が難しい話だ。
最近、早稲田大学教育学部地歴学科で「ベルリン・ブランデンブルクの氷河地形」の研究をしている山本隆太さん(同大博士課程)に出会ってから、街を歩く時の感じ方が変わった。
山本さんが提供してくれた図表をもとに話を進めるとイメージしやすい。左が氷河時代の終わり頃、今から約2万年前のベルリン・ブランデンブルクの景観。バルト海側から拡大してきた氷河がブランデンブルクをすっぽりと覆い、気温は現代より7度ほど低かったという。何よりベルリンが巨大な氷河に覆われていたという事実にまず驚く。氷河の高さは200メートル近くにも及んだそうで、その重さで地面は少しずつ平らになった。氷河の北と南の両側には、ものすごい圧力が掛かり、語尾に「ベルク」が付く地名の原型となる丘が生成された。このようにして、後に都市ベルリンの土台となる谷底ができあがったのである。
その後、現在の気候に向けて温暖化していく過程で、氷は解けていった。氷河の雪解け水が傾斜をつたって谷底に流れて生まれたのが、エルベ川やシュプレー川。いまや細々としたシュプレー川だが、山本さんによると、氷河時代の終わりにはアジアの大河のような大きな流れだったという。その光景を想像しただけで胸が躍るのを感じてしまう。
このような背景を知ると、ベルリン・ブランデンブルクの地形の特徴がすっと頭に入ってくる。ベルリンが沼沢地だったのは、かつて氷河の雪解け水がたまったがゆえに泥っぽいから(この街にいくつもある小さな湖も、解け残った氷の塊から生まれた)。地下を掘ればすぐに水が出てくるのは、ベルリンが谷底にあるため、地下水位が高いからだ。また、丘を構成する土壌は、氷河が運んできた大きな石や泥でごった煮状態になっており、植林地としてしか使えない。そのため、今でも車で走ると地面のデコボコが感じられるという。ブランデンブルクの特徴である松の植林景観は、このような土壌の上に成り立っているのである。
ベルリンの街を歩いていて、なだらかな坂に出会ったら、それは氷河時代に巨大な氷の圧力によって生まれたものと思って、まず間違いない。
山本さんはこう語る。「一見正反対のように見える都市と自然は、実は乖離していないんです。目や耳を澄ませば、ベルリンという大都市の中でも、氷河時代の痕跡をたくさん見つけることができますよ」。
クロイツベルクの丘
Kreuzberg
地下鉄U6のメーリングダム駅から徒歩10分、ヴィクトリア公園(Viktoriapark)内にある「クロイツベルク」は、モレーンと呼ばれる土壌の淵にある丘。高さは66メートルあり、頂上の国民記念碑(Nationaldenkmal)からの眺めはすばらしい。
Viktoriapark
住所: Kreuzbergstraße 10965 Berlin
www.berlin.de/orte/sehenswuerdigkeiten/viktoriapark/
旧博物館の前の「迷子石」
Granitschale im Lustgar ten
ルストガルテンの旧博物館前にある花崗岩の巨大なお椀は、いわゆる「迷子石」(Findling)が元になっている。文字通り、かつて氷河が運んできた漂石のことで、建築家シンケルのアイデアによりブランデンブルク地方で見つかった約750トンの1つの石を彫って作られた。
Lustgarten
住所:Lustgarten, 10178 Berlin
www.berlin.de/orte/sehenswuerdigkeiten/lustgarten/