書店に設けられたベルリンのコーナーに行くと、ガイドブックや都市の歴史を紹介した本に混じって、必ずといっていいほどベルリンの墓地に関する本が置かれている。多くの著名人がこの街を永遠の住処に選び、眠っているだけに、「墓地巡り」もまたベルリンを深く知る上での一つのジャンルになっているのである。無数の墓地がある中で、最初にどこに行くべきか? 交通の便が良く、多くの文化人に出会えるのが、ミッテ地区のドロテーエンシュタット墓地だ。
小雨が降る土曜日の夕方、地下鉄U6のオラーニエンブルガー・トーア駅で降りて5分ほど北に歩く。この時間にやって来たのは、この墓地のチャペル(礼拝堂)の見学ツアーに参加するためだった。戦前に造られた古いチャペルが、数年前、米国の現代美術家、ジェームズ・タレルのコンセプトにより新しく生まれ変わった。光と空間を主題にしたタレルの作品は、日本でも香川県の直島をはじめとしていくつも見ることができるので、ご存知の方もおられるだろう。
内部は極めてシンプルな空間だった。説教台の上には2本のロウソクと聖書を置くスタンドがあるだけで、十字架さえもうっすらと浮かび上がるのみ。約30分の説明の後、実際にこの光のインスタレーションを見せてくれた。最初は赤や青の原色に近い濃い色。それが次第に水色や薄い紫など淡い色合いに変化してゆく。その繊細で美しいこと。タレルはここで、神の存在を光に見立てているのだという。重い色合いからいつの間にか天上の世界へ浮遊したような気分にさせてくれたのは、キリスト教的な復活の希望をイメージした作品の力かもしれない。
ジェームズ・タレルがデザインしたドロテーエンシュタット墓地のチャペル
その数日後の午後、再び墓地に行くと、チャペルの前には喪服を着た人たちがいた。ちょうどこの中で死者のための礼拝が行われている最中らしく、アコーディオンの調べが聞こえてくる。
久々に墓地の敷地を歩いてみた。1770年にここで埋葬が始まった頃は、貧しい人々の墓が多かったというが、19世紀に入るとこの周辺に芸術アカデミーや大学の学者が多く住むようになり、文化人の墓地という色合いが濃くなる。ベルリンの多くの著名建築を手がけた建築家のシンケル、彫刻家のシャドウ、哲学者のヘーゲルとフィヒテ、劇作家のブレヒトとその妻で女優のヘレーネ、作家のハインリヒ・マン(トーマス・マンの兄)……。 彼らの作品や著作を愛する者にとってはたまらない場所だろう。神殿のようなお墓がある一方で、作曲家のハンス・アイスラーのように正方形の石に名前が刻まれただけの簡素きわまりない墓石もある。時代背景に加えて、故人の生き様までもが伝わってくるかのようだ。
建築家シンケルの墓、奥に見えるのはヒッツィヒ家の霊廟
雨が降る中、土を踏みしめながら歩いていると、先ほどのグループが木棺の後に続いて葬列する光景に出会った。やがてトランペットの音色が鳴り響く。それは思いがけずもジャズの曲調の明るい旋律だった。そばにいた人に聞くと、2月初頭に93歳で亡くなったインゲ・ケラーという、特に東独でスターだった女優の葬儀とのこと。チャペルで見たまばゆい光が、脳裏をよぎった。
ドロテーエンシュタット墓地
Dorotheenstädtischer Friedhof
18世紀中期、フリードリヒ大王がオラーニエンブルク門の裏手の畑地を墓地として使用するための許可を与えたのが始まり。当時この地区を「ドロテーエンシュタット」と呼んだことからこの名前が付いた。1993年に文化財に登録。隣には、18世紀にベルリンに難民として押し寄せてきたユグノー教徒に端を発するフランス人墓地が置かれている。
8:00〜日没まで
3月は18:00、4月は19:00など
住所:Chausseestr. 126, 10115 Berlin
電話番号:030-61202714
URL:www.evfbs.de
ドロテーエンシュタット墓地のチャペル
Kapelle auf dem Dorotheenstädtischen Friedhof
ショセー通りの墓地の入口から中に入ると、右手に見えてくる1928年建造の礼拝堂。第2次世界大戦末期に大きく破壊され、1960年代に内装を大きく変えて生まれ変わった。2015年、ジェームズ・タレルのコンセプトにより改装され、現在は週に2回、見学ツアーを開催している。参加費は10ユーロ(割引5ユーロ、12歳以下は無料)。
オープン:ツアーは基本的に毎週土曜と月曜の夕方に開催。 それ以外にも礼拝などで、この光の芸術を体験することがで きる。
URL:www.evfbs.de