6月28日の14時過ぎ、フリードリヒシュトラーセ駅を出ると、ものものしい雰囲気が漂っていました。「生への列車―死への列車」の記念碑の周りには、若い警察官がずらりと立っています。偶然通りかかったこの駅前で、大きな式典に遭遇したのでした。
フリードリヒシュトラーセ駅前で行われた記念式典の様子
英国人のニコラス・ウィントン(1909-2015)は、ナチ支配下にあるチェコスロバキア領内で行き場を失っていたユダヤ人の子どもを救おうと、1939年3月から第二次世界大戦が開戦するまで、実に669人を列車で英国に避難させることに成功しました。さらに、ユダヤ人組織やクエーカーの主導による支援も行われ、このいわゆる「キンダートランスポート」(子どもの輸送)により、ドイツやオーストリアなどに住んでいた約1万人の子どもが主に英国に送られて救出されたのです。
ウィントンの半生を描いた英国の最新映画「ONE LIFE 奇跡が繋いだ6000の命」が現在日本でも公開されているなど、その功績は広く知られるようになりました。今回の記念式典では、85年前に私財を投げ打って子どもたちを助けたウィントンと、当時避難先のパリでユダヤ人の若者がパレスチナへ亡命することを支援した哲学者ハンナ・アーレントの功績に焦点が当てられました。式典に参加したベルリン市のオリヴァー・フリーデリチ社会統合担当次官は、「キンダートランスポートの歴史を想起することは、強い民主主義と寛容さへの表明であり、反ユダヤ主義や人種差別、あらゆる暴力に抗うことでもある」と述べました。
「生への列車―死への列車」の記念碑
私はキンダートランスポートの記念式典にこれまで何度も参加してきましたが、その都度「いま」の子どもとの関わりのなかで、歴史が語られてきたように思います。例えば、2021年9月に行われた式典では、タリバンの過酷な支配下におかれたアフガニスタンの子どもたちが想起されました。
しかし、昨年10月のハマスによるイスラエルへのテロ攻撃の後、イスラエル軍のパレスチナへの空爆によって膨大な数の子どもや女性が犠牲になっているにもかかわらず、イスラエル支援を明確に打ち出しているドイツでは、このような式典でパレスチナの子どもたちを想起するどころか、触れることさえできないような雰囲気があります。その非対称性への違和感は、私の中で減じることはありません。
戦争において子どもは最も弱い存在です。キンダートランスポートの歴史を語り継ぐことは、政治的な立場やジレンマを超えて、困難な状況に置かれたあらゆる子どもに思いを寄せることでなければならないはずです。