今月からベルリン地域のレポーターを担当させていただきます、田澤 陽 と申します。ベルリンには1年ほど前に引っ越してきました。首都とは思えないゆったりとした空気感が漂う一方で、道を歩けば戦争と分断の傷を感じる街、ベルリン。自由気ままでカオスな人々と文化が織りなす不思議な渦に飲み込まれながら、あっという間に1年が過ぎ去ろうとしています。
中庭から見えるユングフェルン湖。第二次世界大戦後、宮殿とこの湖の間にはベルリンの壁が存在していました
先日、ベルリンから電車で30分ほどのところにあるポツダムを初めて訪れました。まず向かったのが、ツェツィーリエンホーフ宮殿。第二次世界大戦においてドイツが降伏した後、米国、ソ連、英国の三カ国首脳が集まって戦後の処理についてポツダム会談を行った舞台であり、ユネスコの世界遺産にも登録されています。ワクワクしていたのもつかの間、なんと改修工事中で建物内には入れませんでした。英国のカントリーハウス様式で造られているためか、宮殿というよりも素朴で上品な避暑地の別荘のような印象を受けました。近くにはユングフェルン湖やノイアー・ガルテンといった自然があり、戦争という言葉を忘れてしまいそうです。かつて戦争を指揮した男たちは、この美しい景色に囲まれながら、一体何を思ったのでしょうか。
この建物が元KGB刑務所になる前は、プロテスタントの女性支援団体のための施設でした
その後、ツェツィーリエンホーフ宮殿から歩いて10分ほどのところにある、元KGB(ソ連国家保安委員会)刑務所を訪れました。この辺り一帯は、第二次世界大戦終了後の1945年夏~1980年代までソ連の防諜機関に占領され、「第七軍事区域」と呼ばれる軍事地区でした。周辺地域との関わりは断絶されており、冷戦時代に東ドイツに属していたポツダムの人々からは「禁じられた都市」とも呼ばれていたようです。反ソ連運動に関わったと見なされた人々がこの元KGB刑務所に収容され、実際には多くの罪なき若者が尋問、拷問されて苦しみました。建物内はパステル調の鮮やかな緑の壁が目を引きますが、体の芯から冷える寒さに襲われます。地下の独房の壁には、収容された人々が残した数多くの碑文が刻まれており、未だに悲しみと怒りが成仏していないように感じました。
宴会の間の天井。ロココ調の装飾が美しく保管されています
最後に辿り着いたのは、1747年にプロイセン王国のフリードリヒ大王によって建設されたサンスーシ宮殿。彼は軍事的才能を発揮した一方で、学問や芸術、自然を愛した文化人であり、ここでパーティーや演奏会を行い豊かな時間を過ごしました。宮殿内の二人の天使が持つ紙には、こう記されています。「まぶしき光をまとい、太陽がまたここに戻った時に、願わくば、歌や恋に弾む話が絶えずに続いていることを」。フリードリヒ2世のこの言葉は、時を越えて、2世紀たった今もなお、私たちに平和を訴えているように感じます。
ポツダム会談から80年を迎える2025年現在、世界では戦争が続いています。無力ながらも私たちにできることは、歴史や文化を学び続けること、そしてできるだけ実際の場所に足を運ぶことだと思いました。