ホームレス支援として始まったハノーファーのストリート新聞「アスファルト」が、今年で30周年を迎えました。9月にマルクト教会で開かれた記念式典には、ニーダーザクセン州知事やハノーファー市長も参加して約300人が集まりました。ストリート新聞は、ホームレスなど仕事がない人が新聞を売ることで、販売価格の半分程度を自分の収入とすることができるというもの。「アスファルト」は1994年8月に創刊され、これまで700万部を売り上げました。社会情勢や身近な話題など他紙にない内容で、読み応えがあります。
アスファルトは2.20ユーロで販売され、その半額が販売員の収入に。式典では、販売員による合唱も披露されました
現在は約250人の販売員がおり、数カ月の人もいれば10年、20年続けている人もいるとか。販売を通して社会や他者とのつながりを取り戻したり、再び住居を確保して就職を果たしたりした人もいます。
記念式典では、販売員の方々が体験談を語りました。20年前から販売員のWさんは、自身のオートバイ事故と、その半年後に妻が亡くなったのをきっかけに酒浸りになりました。そんなときアスファルトを知り、生きる意義を再び見出したといいます。「アスファルトという大家族の中で友人ができました。アスファルトは私の人生」と語っていました。希望する販売員は「私が亡くなったらアスファルトに知らせてください」という紙を常時携帯しています。身寄りのない人も多く、アスファルトが葬式など最後まで面倒を見ます。
また、アスファルト支援のために有名人が販売員をすることがあります。ある体験者は「売り子のベストを着ると、透明人間になったみたい。人々に認知されず、無視されます。目を背ける人もいました」と語りました。ほかにも、ゲストの神学者が「アスファルトの販売員に『働け!』と言う人がいますが、働いているのと同じです。雨の日も風の日も路上で売っているのだから」と話すと、拍手が起きました。相手を対等な存在として認めること。それがホームレス相手だと、おろそかになっている場合があるのです。
アスファルト30周年を祝う式典
最後に個人的な体験から。あるスーパーの前に、いつも寝袋にくるまっているホームレスがいました。ある日いなくなっており、いつもいた場所には「Uさんは病院にいます」というメモ書きが。数日後に再び通りかかったら、花とろうそくが供えてありました。「Uさんはこれまで何度か病院に運ばれたけれど、今回はとうとう……」と話している人がいました。
私は何度もそこを通ったけれど、その人物に注意を払ったことがなく、その人はこんな形で亡くなった。何ともやり切れない思いがしました。そのとき初めて、Uさんはどういう気持ちで毎日そこにいたのだろうと考えました。最近は若者や女性のホームレスも増え、毎冬凍死者も出ています。市は住居の確保をホームレスに対して約束していますが、なかなか進んでいないのが現状です。その一因には、市民の無関心もあるのかもしれません。
日本で新聞記者を経て1996年よりハノーファー在住。ジャーナリスト、法廷通訳士。著書に『なぜドイツではエネルギーシフトが進むのか(学芸出版社)』、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿(光文社新書)』、『夫婦別姓─家族と多様性の各国事情(筑摩書房)』など。