ライプツィヒで有名な教会といえば、すぐに浮かぶのが聖トーマス教会と聖ニコライ教会です。どちらの教会もドイツの歴史において、とても重要な役割を占めています。聖トーマス教会は、バッハが長年「カントル」(教会の合唱団などを取り仕切る役目)を務めていたことで有名。そして聖ニコライ教会は、ドイツが東西に分断されていた当時、再統一されるきっかけとなった平和運動「月曜デモ」が始まった場所です。
聖ニコライ教会では1982年から毎週月曜日に、牧師さんによって平和の祈りが捧げられていました。民衆の集会が禁止されていた東ドイツ時代、宗教的な集まりは例外的に許可されていたため、人々は自然に教会へと集いました。集まる人は日に日に増えていき、やがて教会内に人が収まらなくなるほどだったといいます。そして、ここから暴力や武装を伴わない平和革命が始まり、1989年のベルリンの壁崩壊へと繋がっていきました。このライプツィヒでの出来事を忘れないために、毎年10月9日には「光の祭典」(Lichtfest)が開催されています。
「'89」はライプツィヒで平和革命が起こった年
聖ニコライ教会の内部にはシュロの木をモチーフとした柱が並んでいますが、さらに教会の外にも1本だけこの柱が立っています。これは、市民が平和のために教会から街へと出て行った歴史を想起させるモニュメントで、ライプツィヒのアーティストによって考えられました。シュロの木は「平和」のモチーフでもあり、この場所は今でもデモや集会において重要な位置を占めています。
2月末、ここでウクライナのためのデモ集会が開かれました。ライプツィヒのユング市長も駆け付けて演説を行ったほか、ウクライナ出身の音楽家によって同国の民謡が歌われ、ウクライナへの募金や物資の支援が呼びかけられました。さらに平和革命の象徴でもあるろうそくも配られており、ろうそくを購入したお金はウクライナに寄付されます。この日、本当に多くの人がこの柱のもとに集い、ろうそくを手にウクライナに思いをはせました。
デモが行われた日、柱のもとにたくさんの人が集った
私の友人のアレックスはウクライナ出身で、この集会でも最前列でプラカードを掲げていました。「家にいても祖国のことを考えてじっとしていられない。何か自分にできることはないかと常に考えている」。そう語る彼女の目は、熱く潤んでいました。ライプツィヒはドイツ東部ということもあり、ウクライナから逃げてきた人たちが徐々に到着しているとのことです。私も何かできることはないかと思い、青と黄色の折り紙で鶴を折って、寄付を集う活動を始めました。「デモに参加している写真をウクライナの友だちに送るの。そうすると、とっても喜んでくれるの!」とアレックスは教えてくれました。私たちは時に自分たちの無力さを感じますが、自分が今できることをすれば、それはきっと伝わっていくと強く感じました。
東京都出身。日本で陶芸を勉強した後、2019年からライプツィヒ在住。現在はライプツィヒの大学で博物館学を勉強しながら、ウェブマガジン「ヴァルナブルな人たち」を運営している。
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