2011年の東日本大震災を機に立ち上げ、まちづくりと社会文化活動を実践しているライプツィヒ「日本の家」も6年が経過しました。ドイツで生活する私達、日本人が、自分達で運営している団体として、行政をはじめさまざまな方達が関わってくださるおかげで、手探りながらも地域に根付いた場所になっていると自負しています。
この活動を通じ、“移民”としてドイツ社会に関わる機会がよくあります。拠点としている東部のアイゼンバーン通り沿いは、ライプツィヒ市内だけでなくザクセン州の中でも最も移民率が高い地区です。住人の3 割以上が移民の背景を持ち、難民の数も増え続けています。社会の多様化が進むにつれ、日本人だけではなく多国籍の人々による活動も増えています。
そのため昨年末から、ライプツィヒ市の移民・インテグレーション局と地域マネージメントに引率される形で、東地区で活動する移民・難民の団体が定期的に集まりワークショップを行ってきました。「日本の家」のように移民が自分達で運営している団体もあれば、難民支援活動を行っている団体にスタッフとして勤務している移民の人達もいます。
昨年行われた最初のワークショップ
昨年行われたそのワークショップには、トルコ、ロシア、日本、韓国、イラン、イラク、アフガニスタンなどをはじめとする約20カ国の人々が集まり、ネットワークの場として問題点や課題をオープンに話し合う機会となりました。
その中で出てきた案が、ドイツ人が用意する移民・難民のためのプログラムではなく、自発的にフェスティバルを実行しようというもの。ワークショップ終了後から準備を始め、今年5月20日にようやくライプツィヒ東部の祝祭 (LO.FE-Leipziger Osten Fest) が開かれました。
5月20日に開催されたフェスティバルの様子
イベント当日は20もの団体がブースを出店し、会場には移民・難民によるライブミュージックが流れ、当日は1000人以上の来場者で賑わいました。金銭的な売り買いをする商業性は一切なく、移民・難民にドイツの教育システムのアドバイスや生活支援をする団体、子供達が楽しめるようにいくつも工作を用意している団体もありました。それらの材料は廃材やリサイクル可能な自然のものを使っているため、大きなごみになるものではありません。
ここで重要なことは、当日は大盛況だったものの1 回きりになってしまうような瞬発的なイベントにしないため、イベント後にフィードバックの場をつくり、お互いに感想を述べて改善できる点は何かを話し合うことです。たった1日のイベントですが、準備から実行、終わった後にその意味を問い直してドキュメンテーションにまとめる作業などすべてが含まれています。移民としてドイツ社会に関わることは、まだ始まったばかりです。
ドイツ建築家協会認定建築家。福岡県出身。東京理科大学建築学科修士課程修了後、2003年に渡欧。欧州各地の設計事務所に所属し、10年から「ミンクス・アーキテクツ」主宰。11年より日独文化交流拠点ライプツィヒ「日本の家」の共同代表。
www.djh-leipzig.de