ジャパンダイジェスト

西暦90年に遡る歴史を持つ カンシュタットのローマ城

12月初旬に、シュトゥットガルト北東部のカンシュタット地区で開催されたHoly Shit Shoppingというデザインマーケットに行ってきました。以前リポートしたDEKUMOBlickfangのような有名なデザインメッセが毎年開催されているシュトゥットガルトで、今回のHoly Shit Shoppingもこれらに並ぶ大きなイベントです。この会場が興味深かったので今回リポートしたいと思います。

場所は小高い山の上、高い壁に四角く囲まれた、現代建築にはあまり見られない佇まいでした。しかも敷地がやたらに広くて、端から端まで早足で歩いても5、6分かかります。名前はローマ城(Römerkastell) というので調べてみたら、この城には実に尋常ではない長い歴史がありました。最も古い記録はなんと西暦90年に遡(さかのぼ)ります。

デザインマーケットの一角
デザインマーケットの一角

時代はローマ帝国。ネッカー川から450メートルほど離れたところにローマ城が建てられました。最初は木と土の構造で、その後、石でその上から作り直されました。さらに、西暦117年にローマ帝国が最盛期に近づいた頃、領土の拡大とともに、カンシュタット・ローマ城は当時のローマ帝国の重要な防衛ポイントになったそうです。次第に見回りのための城壁上部にある木造の歩道が拡張されたり、堀が作られたりしました。ローマ城はまた、軍事的な要塞としてだけではなく、緊急避難所の役割も果たしていました。要塞には4つのゲートが設けられ、それぞれのゲートは6メートルの幅があります。内部の道路も8~12メートルと十分の幅があり、砂利と石で舗装されていたそうです。要塞には貯蔵庫やローマ皇帝の像が祭られたお堂などがあり、司令官も住んでいました。当時の要塞の敷地は約4ヘクタールの面積を持ち、サッカー場五つ分ほどでした。

西暦159年になると前線は30キロほど東に移動し、要塞としての役割は薄れていきました。その後アラマンニ人(ゲルマン人の部族連合)に逆襲され一度陥落します。西暦213年にローマ帝国がここを奪還しますが、勢いもここまで。260年になると、アラマンニ人の強襲と内乱により、ローマ帝国はとうとうドナウとラインの統治権を失います。

会場の中の様子
会場の中の様子。スケールが大きい

1700年後の1904年に皇帝ヴィルヘルム(2世)によって、このローマ城の旧跡にバラックが作られ、その後2回の世界大戦を経験し、1993年米軍の撤退を最後に、ここローマ城は平和利用されるようになりました。広い敷地に住宅地やオフィス、スーパーマーケットやレストラン、カフェなどさまざまな施設と今回のイベント会場であるPhoenixhalleがあります。ほぼ2000年にわたる歴史的変遷を知った上で、今日の若者に人気のおしゃれなスポットとしての姿を見ると、とても感慨深いものがあります。

www.phoenixhalle-stuttgart.de

郭 映南
中国生まれの日本国籍。東北芸術工科大学卒業後、シュトゥットガルト造形美術大学でアート写真の知識を深める。その後、台北、北海道、海南島と、渡り鳥のように北と南の島々を転々としながら写真を撮り続ける。
www.kakueinan.wordpress.com
 
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