日本やドイツを初めとして、公的年金制度はどの国でも火の車である。社会の高齢化が急速に進む中で、誰もが「自分は十分に年金で暮らしていけるのか」という不安感を持っている。その意味で、現在ドイツで行なわれている年金論争は、決して他人事ではない。
論争の口火を切ったのは、ウルズラ・フォン・デア・ライエン連邦労働相。彼女は、「所得が少ない市民が定年退職した時に受け取れる公的年金は、今のままでは少な過ぎる」として、「補助年金制度」を新設するべきだと提案したのだ。
特に問題なのは、年金受給者が着実に増える一方、少子化によって年金保険料を納める勤労者の数が減っていくので、受け取れる年金の額が減少することだ。労働省によると、現在税引前の毎月の所得が1900ユーロ(19万円・1ユーロ=100円換算)である市民が、35年間働いて定年退職した後、毎月受け取る年金額は、現在620ユーロ(6万2000円)。しかし2030年には、受給額が16%減って523ユーロ(5万2300円)になってしまう。
ユーロ危機のために、欧州中央銀行(ECB)が大量の資金を市場に投入していることから、今後ヨーロッパでは中長期的に物価上昇率が高まると見られている。インフレは通貨の価値を相対的に下げるので、年金受給者の購買力はどんどん減ることになる。公的年金の支給額は、物価上昇率に合わせて増える仕組みにはなっていない。
連邦統計局によると、毎月の手取りの収入が1700ユーロ(17万円)以下の家庭の比率は、44.2%に上る。このためフォン・デア・ライエン労働相は、「年金受給額が少なくなるのは、例外ではない。ドイツ社会の中間層が高齢者になった時に、貧困に脅かされようとしているのだ」と訴えている。
彼女は「所得が低い人でも、一生働き続けたら最低月額850ユーロ(8万5000円)の年金がもらえるようにするべきだ」と主張。この金額と公的年金との差額を、税金を財源とする補助年金によって補てんすることを提案している。
この提案に対し、フォン・デア・ライエン労働相が属するキリスト教民主同盟(CDU)の反応は冷ややかだ。同党の若手議員の間からは、「補助年金の導入は、若い世代への負担を相対的に重くする」として、同相の提案に強く反対する声が出ている。連邦政府は、現在でも毎年800億ユーロ(8兆円)もの税収を、年金制度の補てんのために投入している。補助年金による負担は、2030年の時点で30億ユーロ(3000億円)に達するという試算もある。
今後ドイツの若い世代の間では、「一部の市民にとっては、35年間働いても年金額が雀の涙になるのでは、公的年金制度を続ける意味があるのだろうか。年金制度を根本的に変える必要があるのではないだろうか」という声が強まるだろう。CDUの若手議員の間では、「税金を財源とする基礎年金を導入し、残りは民間の年金保険だけにするべきだ」という極端な意見も出ている。
数年前から、民間の保険会社の個人年金保険が飛ぶように売れている背景には、リーマンショックの影響だけではなく、若い勤労者が公的年金に対して抱く不信感もある。
ドイツでは、現在35万人を超える市民が、定年退職後も働いている。中には、仕事を続けたいので自主的に働く人もいるだろうが、公的年金と蓄えだけでは食べていけないので、仕方なく働いている高齢者もいるに違いない。高齢者は年金の受給額に対して税金を払わなくてはならないだけではなく、定年退職後の労働による所得が一定の水準を超えると、年金額を減らされてしまう。いずれにしても、我々の未来はあまり明るくないようである。
14 September 2012 Nr. 936