Hanacell

ドイツ人のインフレ・アレルギー

私は、1990年にドイツで取材と執筆を始めて以来、ユーロ通貨をめぐる議論を重点の1つにしてきた。したがって、ユーロについては22年間も取材してきたわけだが、この中で一貫して感じてきたことは、通貨の価値についての考え方に、ドイツ人とそれ以外の欧州諸国との間で、大きな違いがあるということだ。

ドイツ人は、過剰な物価上昇(インフレーション)によって、自国通貨の価値が下がることについて非常に敏感だ。アレルギーと呼んでも大げさではないほどである。ドイツの主要新聞は、毎月経済面で物価の動向を詳しく分析している。

今年秋に欧州中央銀行(ECB)の理事会が、ユーロ救済策の一環として、経済改革や緊縮策を実行する国に対してはECBが国債を無制限に買い取って支援することを決めた。この時に反対したのは、ドイツ連邦銀行のイェンツ・ヴァイトマン総裁だけだった。ドイツが反対した理由は、「中央銀行が過重債務国の国債を買い取ることは、紙幣を印刷して政府に金を貸すのと同じ。ユーロ圏内のインフレの危険が高まる」ということだった。中央銀行による国債の買い入れは、日本、米国、英国などでは頻繁に行われており、特に珍しいことではない。このため、ドイツの態度に違和感を抱いた金融関係者も多かった。  

ドイツの物価上昇率は、どれくらいなのか。今年9月の消費者物価は、前年に比べて2%増加した。ECBの任務は、ユーロ圏内の物価上昇率を2%以下に抑えることなので、それほどひどいインフレとは言えない。

それでも、ユーロ救済のためにマーケットに大量の資金が投入されていることから、ドイツでは「中長期的にはインフレ傾向が強まって貨幣の価値が下がる」と心配している人が多い。貨幣の価値が下がると、預貯金、株式、生命保険、年金保険などの購買力が低下する。したがってドイツでは、金利が史上最低の水準にあることも加わって、金融資産の比率を減らして不動産を購入する人が増えている。今年1月と2月の住宅建設受注額は、前年同期に比べて22.5%増えている。このため、大都市を中心に不動産価格が上昇しつつある。ケルンのドイツ経済研究所によると、この国のアパートの価格は2003年から2011年までに毎年平均10.5%上昇した。

なぜドイツ人は、インフレに対してこれほど神経質なのだろうか。それは、彼らが第1次世界大戦後に超インフレによって、貨幣の価値がゼロになるという恐るべき経験をしたからである。これは、先進工業国を襲った歴史上最も激烈なインフレだった。

たとえば、1918年には封書の切手の値段は、15ライヒスペニヒだった。しかし1923年11月には、1億ライヒスマルクの切手を貼らないと封書を送れなくなった。通貨の価値が5年間で約6億7000万分の1に減ったのである。パン1個の値段が何兆マルクにもなり、人々は大量のお札をトランクに詰め込んで、パン屋に行かなくてはならなかった。紙幣よりも壁紙の方が高かったので、紙幣を壁に貼る市民も現れた。

こんな逸話が残っている。当時、あるドイツの大金持ちが、超インフレに苦しむドイツに見切りをつけて、米国に移住するためドイツの豪邸を売り払った。彼は港へ行って船の切符を買おうとしたが、家を売った金ではもはや船の切符を買えなかった。仕方がないので、港から町へ戻るために馬車に乗ろうと思ったら、その間にインフレがさらに進んで、馬車の運賃すら払えなくなっていた。今でも古銭店のショーウインドーに時々飾られている100兆ライヒスマルク紙幣が、超インフレの恐しさを今に伝えている。この経験によって、人々は民主的な憲法を持っていたワイマール共和国への信頼を失った。超インフレは、人々が経済の安定を望んで独裁者ヒトラーに熱狂的な支持を与える間接的な原因にもなったのである。

多くのドイツ人の心には、当時から語り継がれてきた恐怖体験が、今も深く刻まれている。ドイツ連銀が戦後ドイツ人から厚い信頼を寄せられてきたのも、同行が政府からの独立性を守り、通貨政策によって物価上昇率を低く抑え、マルクの安定性を半世紀にわたって維持したためである。ドイツ人は、同じフランクフルトに置かれたECBもドイツ連銀並みの「インフレ・ファイター」になることを期待していた。  

こうしたドイツ人のインフレ・アレルギーを、ほかの国々は「大げさだ」と考えている。国際通貨基金(IMF)のオリビエ・ブランシャール経済顧問・調査局長は、次のように語る。「ドイツ人は過去の経験から、物価上昇が超インフレにつながると思い込んでしまう。だがECBがユーロ圏内の物価上昇率を2%以下に抑えるという任務を果たす限り、私は超インフレが起こる危険は全くないと思う」。彼は、デフレに苦しむ南欧諸国の物価上昇率はゼロに近いので、ドイツの物価上昇率は4%前後になっても大丈夫だと語る。

ユーロ危機を一致団結して克服するためには、ドイツ人もそろそろインフレ・アレルギーから脱却する必要があるのかもしれない。

21 Dezember 2012 Nr.944

 
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熊谷徹
1959年東京生まれ、早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。神戸放送局、報道局国際部、ワシントン特派員を経て、1990年からフリージャーナリストとしてドイツ在住。主な著書に『なぜメルケルは「転向」したのか―ドイツ原子力四〇年戦争』ほか多数。
www.facebook.com/toru.kumagai.92
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