21. ケスラー・ゼクト15:継承されるケスラーの理念
20世紀初頭、C.G. ケスラー&カンパニーは、エスリンゲン市でいち早く電灯と電話回線を導入したほどの先端企業だった。同社は2つの大戦時も辛うじてゼクトを生産し続け、創業125年を迎えた1951年には年間10万本を生産するまでに復興した。
1956年、当時の西ドイツ首相コンラート・アデナウアーは、シュトゥットガルトでケスラーのプレスティージュ・ゼクト「ホッホゲヴェックス」(高品質の意)を味わい、そのおいしさに驚嘆したという。以後ドイツ政府(旧西独)は、世界各国の要人を迎える晩餐会に、ケスラーのゼクトを振る舞うようになった。ケスラー・ゼクトは「カンツラー・ゼクト(首相のゼクト)」と呼ばれ、アデナウアー以後も外交の場を演出した。
ケスラー・ゼクトを味わった要人のリストは長い。いくつか例を挙げると、1963年には米国のケネディ大統領夫妻、1965年には英女王エリザベス2世夫妻、1968年にはフランスのド・ゴール首相やオランダ女王ユリアナ夫妻などと華々しく、知名度が高まった。1970年には、ケスラー・ゼクトの年間生産量は120万本に達していた。
21世紀に入ると、同社は「顧客にとってより身近な醸造所」を目指して、一般客のセラー見学の受け入れなどにも積極的に取り組んでいた。ところが、2004年末に6代続いたヴァイス家の後継者が途絶え、倒産の憂き目にあった。
しかし、企業の再建は迅速だった。2005年5月、ケスラー・ゼクトは合資会社として再スタートを切った。新たな経営陣は、創業者ケスラーの理念であった「庶民にも手の届くゼクトを」に立ち返り、まずコレクションを充実させた。2007年には、本社内に店舗を兼ねたワイン・バーを開業するほか、結婚式などに利用できるサロン風のイベントスペースをオープン。2012年には年間生産量100万本を突破し、ゼクト業界に返り咲いた。
新生ケスラーのコレクションは、伝統を尊重しつつも、現代の嗜好に応じて厳選された品揃えだ。ベースワインの多くを、イタリア、トレンティーノの提携醸造所であるカヴィート協同組合が生産。ほとんどのゼクトが、ケスラーがシャンパーニュからもたらした伝統製法で造られ、最高品質のものは、築800年のセラーで熟成されている。「ホッホゲヴェックス」も健在で、現在はシャルドネで造られている。近年はヴィンテージ・ゼクトにも力を入れており、なかでも創業者に捧げられた「ケスラー・グラン・レゼルヴ『ジョルジュ』」は5年間瓶熟成させた逸品だ。ケスラーはフランス風に「ジョルジュ」と呼ばれていたそうで、それがブランド名となった。エスリンゲン市内の本社がある通りも、近年、ゲオルク=クリスチャン・フォン・ケスラー広場と改名された。
ケスラー・ゼクトのマスコット・キャラクターである2人のウエーターは1904年生まれ。カリカチュア作家ヨーゼフ・ベネディクト・エングルが考案したもので、木樽にも彫られた