6. ベルサイユ条約が禁じた「シャンパン」の名称
シャンパンの製法はフランスから世界各地に伝わり、ドイツだけでなく、スペインや遥かブラジルでも泡立つワインが生産されるようになった。今日のゼクト、カバ、エスプマンテなどは、かつてその多くが「シャンパン」と呼ばれていた。
これまで、ドイツのスパークリングワインを「ゼクト」と呼んできたが、ドイツをはじめ、世界各地のスパークリングワインは、シャンパーニュから製法が伝わり、生産されるようになった当初は「シャンパン」と呼ばれていたようだ。ドイツでは「シャンパニアー・ワイン(Champagner Wein)」と言われ、やがて形容詞の「シャンパニアー」が通称となった。現在もドイツではシャンパンのことを「シャンパニアー」と言う。ブルゴーニュ・ワインのことを「ブルグンダー」と言うのと同じだ。
ドイツでは、18世紀末に泡立つワインが出荷されたという記録があるが、19世紀初頭までは「シャンパン」と言えばフランスが本場だった。シャンパン・メゾン、ヴーヴ・クリコ社の共同経営者だったドイツ人、ゲオルグ=クリスチャン・ケスラーが、1826年に故国ドイツに戻って立ち上げたドイツ最古のゼクト醸造所、G.C. ケスラー社も、その後ドイツで起業した数々のゼクト醸造所も、当初は皆「シャンパニアー工場(Champagner-Fabrik)」と呼ばれていた。
やがて「ゼクト」の名称も並行して使われるようになった。辛口を意味するセック(sec)が訛ってゼクトとなったというのが定説だが、19世紀初頭に活躍した舞台俳優のルードヴィヒ・デヴリエンが、行きつけのバーで大好きなシャンパンを注文する際にサック(実はシェリーのこと) と言い、それが訛ってゼクトという呼び方が流行ったという逸話が良く知られる。(991号「ドイツワインナビゲーター」参照)。ゼクトという言葉が初めてドイツの辞書に登場したのは1907年だ。
第一次世界大戦後、1919年に締結されたヴェルサイユ講話条約で、ライン川左岸の非武装化などに加え、ドイツ製品に「シャンパニアー(Champagner)」などのフランス名を使用することが禁じられた。しかしゼクトという名称は、1871年のドイツ統一後、シャンパンと一線を画する名称として一般化していたと言われる。
ところで、ゼクトがドイツ帝国時代に課税対象となったことは前回書いた。ゼクト税はナチス時代の1933 年に一旦廃止されたが、1939年に第二次世界大戦が勃発すると、U ボート艦隊の開発費として再度徴収されるようになった。以来、同税は今日に至るまで徴収され続けている。
スペイン、カタルーニャ地方の大手カバ生産者コドルニウ社では、
シャンパーニュと書かれた昔の看板が展示されていた。(筆者撮影)