ジャパンダイジェスト

ドイツゼクト物語 - シャンパンとの接点を探して 岩本順子

10. ケスラー・ゼクト4 シャンパン品質革命!

Deutsche Sekt-Geschichte

17世紀末以降、ガラスボトルとコルク栓が徐々に普及するようになり、ワイン産業は新たな発展段階に入った。しかし、シャンパンの製造技術はいまだ発展途上にあった。製造方法は17世紀後半にわかっていたが、品質の向上にはさらなる考案が必要だった。

1801年、ナポレオン政権下で内務大臣を務めた化学者、ジャン= アントワーヌ・シャプタル(1756- 1832)が、ワインの品質向上に関する大著(注)を出版した。この本はシャンパンの製造法についても化学的に解説しており、当時のシャンパン造りのマニュアル本となった。シャプタルは補糖(シャプタリザシオン) の考案者でもある。

当時シャンパーニュでは、圧搾後の果汁を大樽で自然発酵させており、完全発酵までに1年以上かかった。そうして出来上がったベースワインをアッサンブラージュする方法、そこに酵母と砂糖を加えてボトリングし、セラーで寝かせ、瓶内二次発酵させる方法は知られていた。しかし、動瓶(ルミアージュ)や澱抜き(デゴルジュマン)はまだ知られておらず、出荷前には、酵母の澱や酒石酸結晶を取り除くために、ボトルの詰め替え作業が行われた。その際、ワインが目減りし、炭酸の大部分が失われ、酵母の澱が混ざり込み、きれいに澄んだシャンパンはできなかった。

マダム・クリコは、ワインのロスがなく、炭酸を充分に保った澄んだシャンパンを造りたいと考え、ケラーマイスターのアントワーヌ・フォン・ミュラーと知恵を絞った。ミュラーはケスラーと同世代で、ケスラーに3年遅れてヴーヴ・クリコ・ポンサルダン社に入社したシュヴァーベン地方出身のドイツ人だ。

ベネディクト会修道士ドン・ペリニョン(1638-1715)は、瓶を砂の中に逆さに立てて澱を集めたそうだが、2人はそこからヒントを得て、1816年にテーブル状のピュピトルを考案した。食卓に開けた64の穴に、二次発酵を終えたボトルを差し込み、毎日4分の1回転させて、6 ~8週間かけて澱を瓶口に集めてから、コルクを抜いて、集めた澱を飛ばした。この方法だと、シャンパンを別の瓶に詰め替えなくてすむので非常に効率が良かった。

ちなみに、瓶口に集めた澱を凍らせる方法は、1884年に考案された。ミュラーの孫にあたる、ランスに移住したドイツ人ワイン商フランツ・アベルの息子、アンリ・アベレが考案したと伝える資料と、フランス人のアルマン・ウォルファート=ビネが考案・特許を取得したと伝える資料があるが、通常は「ウォルファート法」といわれる。

注/ Traité théorique et pratique sur la culture de la vigne, avec l'art de faire le vin, les eaux-de-vie, esprit de vin, vinaigres simples et composés (Paris, 1801)

ランスのシンポル
ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン社の見学コースに展示されている、テーブル型ピュピトル(筆者撮影)

 
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岩本順子(いわもとじゅんこ) 翻訳者、ライター。ハンブルク在住。ドイツとブラジルを往復しながら、主に両国の食生活、ワイン造り、生活習慣などを取材中。著書に「おいしいワインが出来た!」(講談社文庫)、「ドイツワイン、偉大なる造り手たちの肖像」(新宿書房)他。www.junkoiwamoto.com
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