ベルリン市中心部のジャンダルメンマルクト広場やフンボルト大学などから近い連邦外務省では、定期的に展覧会が開催されています。10月16日から約1カ月間、Lichthofと呼ばれる入り口のホールで、日本の新進作家から成るグループ「団DANS」が、エネルギー問題をテーマにした展覧会を行いました。
麻生和子氏がオーガナイザーを務め、計11人の作家がそれぞれの作品を披露した今回の展覧会のタイトルは、「Thinking of ENERGY - from the experience of FUKUSHIMA」。団DANSはその趣旨をこう説明しています。
「津波によって引き起こされた福島の原子力発電所の事故は、日本に住む人だけでなく、世界中の人々に問題を提起しました。特に日本に住んでいる私たちにとって、今人々が求めている豊かな社会を実現するのにエネルギーは不可欠で、安い原子力エネルギーには誘惑を感じます。そして、今も将来においても原子力エネルギーを使い続けることには問題があると、皆が十分気付いているにもかかわらず、私たちは日々の生活を何も問題がないかのように(気付かぬふりをして)過ごしています」
インスタレーション、彫刻、絵画、写真など多彩な表現手段の作品が並ぶ中、私はある映像に引き込まれました。人通りが皆無な福島県双葉町で、除染服を着た男性が自らビデオを回しながら語っています。彼が卒業したと思われる学校の前では、校歌を歌い始めました。それは、悲痛というものを越えた叫びのように聞こえました。
連邦外務省で行われた展覧会より
この作品を作った太湯雅晴さんが説明してくれました。ビデオを回していた男性は双葉町に住んでいた大沼勇治さん。町の商店街の入り口に掲げられ、後に原発推進の象徴にもなった「原子力 明るい未来のエネルギー」の標語の作者です(小学6年だった当時、学校の宿題として作ったと言います)。太湯さんは、大沼さんを取材した映像と、その裏側のネオン管で作った標語とで作品を構成しました。
「あの標語は、地元住民と電力会社との一種の『共犯関係』で成り立っていました。大沼さん自身、後悔の念が強いようです。ただ、私はこの作品によって何らかの意見や答えを示すつもりはありません。原子力発電所を中心としながらも、一歩引いた視点から、その周辺で何が起きたのか、大沼さんの個人的な視点と体験を通して提示したかった」と語ります。
原発推進の標語をテーマに作品を制作した太湯雅晴さん
明快な答えの見付けにくいエネルギー問題を、アートという形で問い掛けた連邦外務省での展覧会。太湯さんに話を伺っている横でも、地元の訪問者が作品の前で立ち止まっては見入っていました。