11月23日、ドイツ連邦外務省のリヒトホーフにて、いわゆるキンダートランスポート(子供の輸送)を偲ぶ記念式が行われました。
ドイツ連邦外務省で行われた記念式の参加者達
キンダートランスポートとは、1938年11月9日の「水晶の夜」事件によりナチス支配下でのユダヤ人迫害が激化した後、英国を始めとする諸外国が17歳までの子供の受け入れを表明し、同年11月30日から39年9月1日までの間に1万人以上ものユダヤ系の子供達が救出された出来事を差します。ベルリンのフリードリヒシュトラーセ駅前には、キンダートランスポートにより助かった子供と、後に強制収容所に送られて殺害された子供とを対置させた印象的な記念碑「生への列車−死への列車」が置かれています。
フリードリヒシュトラーセ駅前に置かれた記念碑
この日、外務省で行われた行事には、キンダートランスポートの生存者やその子孫、各国大使、地元の学校の生徒らが参加。ガブリエル外務大臣に代わって臨席したミヒャエル・ロート政務次官は、「子供はより良い世界を作るための希望です。ここにいる若い皆さんにはキンダートランスポートの歴史を語り継いで欲しい。そして将来、ドイツに住むあらゆる人が出身や宗教、性別、性的同一性如何を問わず、自由に安心して住めるよう力を注いでください」と述べました。
生存者を代表して、作家のヴァルター・カウフマン氏がスピーチをしました。1924年にベルリンで生まれたカウフマン氏は現在93歳。15歳の時にキンダートランスポートで英国に渡りましたが、第二次世界大戦が始まると、「敵性外国人」としてオーストラリアに送られる運命を辿ります。しかし、そこで出会った文学が自分の生きる支えになったそうです。後にカウフマン氏は東ドイツに移住し、著名な作家となりました。
記念式ではその後、英国、ベルギー、スウェーデン、スイスなど、当時難民の子供達を受け入れた各国の大使に、ベルリンの小学校の児童から記念品が贈られました。
現在、世界に約6000万人いる難民の半数近くが18歳以下の若者であり、ドイツにやって来た難民の3分の1以上は子供だといわれています。キンダートランスポートの歴史は、いまを生きる私達にも大きな示唆を与えてくれるといえるでしょう。2019年9月1日に、第二次世界大戦の勃発によってキンダートランスポートが中止を余儀なくされてから80年を迎えます。この日の記念式を皮切りに、これから約2年かけて関連の行事が行われていく予定だそうです。