11月9日はドイツ史において「運命の日」と呼ばれます。この日に起きた重要な出来事の一つが、1938年の反ユダヤ主義暴動の「水晶の夜」です。今年はあの事件から80年の節目を迎えるに際し、ナチス時代にゲシュタポ本部があった記念館「テロのトポグラフィー」で特別展「水晶の夜−反ユダヤ主義テロ1938」が開催。11月6日に行われたオープニングに足を運んできました。
「水晶の夜−反ユダヤ主義テロ1938」の展示より
80年の節目ということや昨今のポピュリズムの台頭による危機感の表れでしょうか、人々の関心は高く、会場は空席がないほどの盛況となりました。
展覧会のオープニングで挨拶するグリュッタース大臣
モニカ・グリュッタース文化メディア担当国務大臣は、その挨拶の中で今回の展覧会の意義を述べるとともに、ドイツ政府として若い世代への歴史教育をより重視していく姿勢を表明。具体的には、国内の歴史記念館の教育部門に22席分のポストを来年度新たに用意したことなどを発表しました。
「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人の記念碑」のウーヴェ・ノイメルカー館長は、「歴史は繰り返さない。しかし、重なり合うことはある」と話し、ホロコースト記念碑を「恥の記念碑」と発言したドイツの政治家を引き合いに出し、「記憶の文化の転換を阻止する」意思を語りました。
歴史家、そしてユダヤ教のラビでもある「テロのトポグラフィー」のアンドレアス・ナハマ館長は、「水晶の夜」の別称としてよく用いられる「11月ポグロム」という表記に疑問を投げかけます。もともと「ポグロム」という言葉は、19世紀の東欧における自然発生的な暴力行為を差すといわれます。しかし1938年の場合、ミュンヘンの市庁舎から送られたナチス上層部の電話による司令のもと、数時間のうちにシナゴーグやユダヤ人の商店への襲撃、殺害が実行(あるいは黙認)されました。国とナチにより演出されたテロ事件がホロコーストへの序章となったことから、当展覧会では「反ユダヤ主義テロ」が副題になっています。
当時実際に何が起きたのか。この特別展ではグンタースブルーム、ベルリン、ホーフ、ブリュールといった各都市で撮影された写真を大判で展示。夜に起きた暴動という一般的なイメージとは裏腹に、昼間に燃え上がるシナゴーグを前に傍観するだけだった人々の様子なども伝えています。中には撮影者の没後に見つかった、これまでほぼ未公開だった貴重な写真も含まれているとのこと。
この特別展では、当時の出来事を紹介するのみならず、38年11月9日を東西ドイツにおいてどのように振り返り、心に刻んできたのか。その受容の歩みにも焦点が当てられます。展示は2019年3月3日まで。
テロのトポグラフィー公式サイト: www.topographie.de