私がドレスデンに住んで早10年が過ぎました。その間に知り合ったドレスデン市民の多くに共通することは、自分が生まれた地区内に住み続ける人が多いということです。『ふたりのロッテ』などの作品で、児童文学作家として世界的に有名な、エーリッヒ・ケストナーもその一人と言えます。1899年、ドレスデンに生まれてから、1919年にライプツィヒに移住するまでの20年間、彼は国王橋通り(ケーニヒブルッカー通り)のみに住みました。58歳のときに執筆した『わたしが子どもだったころ(Als ich ein kleiner Junge war)』(1957年出版、1958年邦訳)には、20世紀初頭のドレスデンでの生活や町の様子が描かれています。偶然にも私の生活圏は彼のそれと重なるため、登場する地名や通りの名前が半世紀以上を経て重なることの面白さがあります。
時はまだザクセン王国最後の国王、フリードリヒ・アウグスト三世(1904-1918在位)の治世です。彼が生まれた家は66番地の5階で、最上階、つまり一番家賃が安い屋根裏部屋に相当します。ケストナー自身は66番地の家の記憶はないようですが、次に住んだ48番地の4階の思い出はたくさんあり、その次の家は38番地の3階でした。この通りの建物は第二次世界大戦の爆撃で被害を受けなかったので、現在でも重厚で年季の入った建物が立ち並び、ケストナーが毎日見た風景とほぼ同じはずです。
国王橋通り66番地の生家。この最上階でケストナーが生まれた
66番地から38番地までは、通りに立って一目で見渡せてしまうほどの距離で、ケストナー自身が言っているように、国王橋通りとの結びつきは特筆すべきものでした。ライプツィヒに移るときに初めてこの通りと別れることになり、通りがケストナーにくっついて来ても「驚かなかったであろう」と言うほどでした。
この通りを南下すると、大きなアルベルト広場にぶつかります。このアルベルト広場に面して、馬商人として富豪となった伯父の邸宅がありますが、ケストナーはこの家に何かと出入りし、塀の上に腰をかけてはアルベルト広場を行き交うトラムや馬車を眺めていました。現在はケストナー博物館となり、塀の上に座る銅像の少年ケストナーが現在のトラムを眺めています。これだけ有名になると銅像でもありそうなものですが、この少年ケストナー以外には見当たりません。
その代わり、アルベルト広場とアラウン通りの角には、彼の片りんを示す彫刻があります。中折れ帽、灰皿、積み重ねられた本、コーヒー、そして『わたしが子どもだったころ』の本と、その中の「わたし自身も、何になろうと、いつも同じ、国王橋通りの子であることに変わりはなかった」という一文が書きつけられた紙とペン。ケストナーがまだその辺を歩いている、そんな錯覚にとらわれます。
アラウン通り入り口に立つ記念碑
横浜出身。2005年からドレスデン在住。ドイツ人建築家の夫と娘と4人暮らしの建築ジャーナリスト。好奇心が向くままブログ「monster studio」公開中。
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